「田舎暮らし」の孤独に耐えられない移住者 全共闘世代が誘い込む市民運動の罠

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結局は都会に帰る移住者

 そんな彼らが住む家の軒先には、立派なウッドデッキとテーブルはしつらえられている。だが、当の家人らは還暦をまわって初めて目覚めた「超一流意識」と「政治覚醒」に忙しい。地元の青年から言わせればこうだ。

「互いにいい関係を築きたいというのはある。だけど地方だって、その習慣で成り立ってきたものが大きいから、今日までやってきたことを明日からすべて180度変えて、というのは難しい。都会の作法をそのまま持ち込まれても、反発心が強くなる。そこにきて地域を分断する政治闘争をやられたら、もともと選挙のたびに人間関係が対立する甲州では、さらに混乱してしまう。都会の人はゆったりのんびりしに来ているはずなのに、なんで地域を根本から変革しようとするのか、それがわからない」

 なるほど、と思わせる。温故知新でいけばいいのだが、「超一流の人材」と思い込んだ都会人は厄介だ。未開の地に文明を持ち込まんとするかつてのヨーロッパ人さながらの勢いで、空気を読まずに自己主張・政治主張を掲げて憚らない。

「移住者同士で寄る辺がなく、結局は孤独に耐えられない悲しい都会人の性なのかもしれませんね」と前出の加藤さんは観る。

 中央道を降りて清里へと向かう観光道路の要衝交差点では、スパイダーマンのコスチュームに身を包んだ地元では著名な移住者活動家が、暇にあかせて「アベ政治を許さない」と訴える。

「もはや、あんなものは、動く景観破壊ですよ。彼らは太陽光発電のパネルができると、それ景観破壊だ、道路を通そうとするとやれ環境破壊だとかまびすしいですが、自分たちもまた地域社会にとっては迷惑をもたらしていることを客観視できていない」(地元青年部幹部)

 地元民対移住者の内戦状態はどうやら収拾がつくメドはなさそうだ。ただひとつ確かに観てとれるのは、せっかくゆったりとした田舎暮らしを求めて移住して来たのに、「政治活動に目覚めるってどうなの?」という疑問だけだ。市役所に勤める地元住民の言葉には沁み入るものがあった。

「せっかく老後をゆっくりにしに来られたのですから、もう少し気持ちをゆったり持たれてはいかがでしょうね。都会でできずに地方でできること。それはゆったりと過ごすことなわけですから。ただ、孤独と寂しさに耐えられない方は、やっぱり都会で生活するしかないわけです」

 夫婦で移住しても、伴侶が先に旅立ったり、病気になったりすれば結局、都会へと戻っていく。前出の移住者・加藤さんが言う。

「田舎暮らしと言っても、都会人は結局、田舎では死ねませんからね。車に政治メッセージのステッカーを張ったり、閑散とした道路でプラカードを掲げたりするのは、老後の過ごし方としてはもったいないですよ。朝は富士山や南アルプスを眺めながら、ゆっくりとコーヒーを飲む、そんな生活がいいのではないでしょうかね。田舎暮らしをして、初めてわかりました。都会人にとって田舎暮らしは、あくまでも憧れであって、移住しても実践できる人はごくごく限られているんですよ。よかったですよ。私は都会に家を残しておいて」

 加藤さんは近々、移住のために新築した“終の棲家”を売りに出し、都内のマンションに帰っていくことを決めた。

「もう70歳を越えたというのに、激しい政治闘争は、私には無理ですね。東京は確かにせわしないですよ。でも、田舎暮らしを経験してみた今は、生活していくうえでの気持ちそのものは、マンション暮らしのほうがよっぽどゆったりしていて気楽だというのがよくわかりました。これからは、いろんな場所を旅して回る、田舎巡りを楽しもうと思います。田舎の人間以上に怖いのが、移住した政治活動家だというのがよくわかりました」

 人口が増加し、攻める移住者と、その防戦に団結する地元住民との対立は、地方統一選の今年、いよいよ露骨に激しさを増している。田舎暮らしの果てに視えてくるのが「良識ある都会人は田舎暮らしから離れ都会に戻り、残るのは濃縮された政治活動家ばかり」では、悲しい現実と言わざるを得ない。

取材・文/清泉亮(せいせん・とおる)
移住アドバイザー。著書に『誰も教えてくれない田舎暮らしの教科書』(東洋経済新報社)

週刊新潮WEB取材班

2019年4月5日掲載

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