「めざましテレビ」25周年 唯一、初回放送から出演の「軽部アナ」インタビュー

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万年の寝不足

――軽部アナの1日はどんなスケジュールなのだろうか。

軽部:毎朝3時に起きて、家を出るのは3時15分。まだ電車も動いていませんから、局の車で送ってもらい4時前に出社しています。ですから、この4半世紀、僕は通勤ラッシュを経験していないんですよ!

――ちっとも羨ましくはない。

軽部:そうか……。会社に着くと、メイク室に入って、4時過ぎにはスタッフルームで打ち合わせです。番組が終わると、何もなければ昼前に会社を出ることもありますが、他にも仕事がありまして。仲間由紀恵さんとの「ミュージックフェア」(土曜18:00~18:30)、CS・BSの「男おばさん!」、「日曜邦画劇場」(日本映画専門チャンネル)、週末は高嶋ちさ子さんと「めざましクラシックス」で地方に行くこともあります。ですからなんだかんだで、長時間仕事していることも多いんですよ。特にこの3月は「めざまし」25周年ということで、「めざましライブ」も夜にありましたから、結構ハードでした。そもそも、「めざまし」は当初、朝5時55分スタートの2時間番組だったんです。それが5時25分スタートになって30分早まり(02年1月7日~)、昨年4月からはさらに30分早まって3時間番組になっています。最初、この仕事を受けたときに上司から「2年くらいは頑張ってくれよ」と言われました。身体のことを気遣ってくれたんです。あれから25年ですからね。この年になって一番疲労がたまっているかも……。

――忘れられない取材でのハプニングは?

軽部:うーん、25年ですからね、パッと出てこないんですが、やっぱり「マライアのお犬様騒動」は忘れられないですね。98年に2度目の来日を果たしたマライア・キャリーのインタビューをしたんですが、その時に彼女の愛犬「ジンジャー」の話題になったんです。すると、「日本には連れてこられなかったけど、思い出したら日本でも犬を飼いたくなっちゃった。今から買いに行くけど、アメリカには連れて帰れないでしょ、あなた飼ってくれない?」と。まあ気安く「OK!」と言ってその場は済んだんです。ところが、レコード会社の彼女の担当から連絡が入って、「これからマライアが青山ケンネルに犬を買いに行くんだけど、軽部さん、本当に大丈夫?」と。エエーッ!とは思いましたが、とりあえず、同行取材することに。マライアが2匹のシーズー犬(ビンとボンと命名)をお買い上げになるところを取材させてもらい、「めざまし」で放送しました。で、2匹の犬は、どうしようかと。当時の僕は実家住まいで、犬を飼うことに家族は反対。ADさんに飼ってもらおうかなどと思い悩んでいたところ、帰国前日にまた彼女にインタビューする機会がありました。すると彼女が、「どうしても連れて帰りたい」と言い出したんです。どう手続きしたんでしょうかね、本当に連れて帰りました。これが「マライアのお犬様騒動」なんですが、この十年後、今度は僕がマライアの自宅を訪ねるという仕事がありまして、そこで僕はビンとボンに感動の再会を果たしました。マライアも“ビンとボンの軽部”と覚えて下さっているようでした。

――25年も続けるとマライア・キャリーとの知古も得られるのである。

軽部:もちろん、いいことばかりではありません。底辺からスタートした「めざまし」ですが、初代司会者の大塚範一さんが病に倒れたことで、番組のお父さん的存在であるシンボルを失いました。日テレさんの「ZIP!」やテレ朝さんの「グッド!モーニング」が勢いをつけたということもありますが、数年前には視聴率が厳しい時期もありました。

――大塚アナは食事会に顔を出すほどに回復しているという。そして「めざまし」は昨年、ライバル番組を差し置いて、視聴率トップに返り咲いた。

軽部:トップに返り咲くことができたのは、変えるところは変えて、変えないところは変えなかったことでしょうね。番組スタート時、“見るラジオ、聞くテレビ”というコンセプトの元、朝の忙しい中で、明るくわかりやすく、様々なジャンルのニュースをお伝えしようと心掛けてきました。まだワイドショー全盛で、ゴシップのない番組など誰が見るかと言われた時代に、純粋なエンタメ情報を最初に始めたという自負があります。

――12年からメインキャスターを務める三宅正治アナと軽部アナは同期という。

軽部:大塚さんがいなくなって、三宅と僕のおじさん2人以外はみんな若いので、ファミリーと言うには違和感があるかもしれませんが、バランスは取れているように思います。三宅とは同期なんですけど、実は入社以来、初めて一緒に仕事をしているんです。別に仲が悪かったわけでもなく、彼はそれまで「プロ野球ニュース」などスポーツがメインで夜の生放送が多かったから、会社でもあまり会う機会もなかった。それが今一緒にやっているわけです。フジでは、同期のアナウンサーがこの年まで2人も残っていることってないんですよ。女性のアナウンサーは寿退社したり、フリーになったり、男も別の部署に移ったりしますからね。そうした中で、僕ら同期が現役アナとして残っているのは珍しく、後輩たちの中からもこういうケースは出てこないでしょうね。その2人がいま“ミヤカル”とか呼ばれて一緒にロケしたりしているんですから、本当に面白いもんです。

――フジテレビの定年は60歳という。あと4年、軽部アナは何をしたいのか。

軽部:番組スタートからここまで来ましたから、いけるところまではいきたいと思います。「めざましテレビ」には30年、40年と情報番組の日本記録を目指してほしいですね。

週刊新潮WEB取材班

2019年4月2日掲載

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