習志野高「サイン盗み」疑惑、告発した星稜高・林和成監督の“主張”を一挙掲載

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サイン盗みは根絶すべき

 私も星稜高校の野球部OBです。1992年、夏の甲子園に出場しました。2年生でした。松井秀喜さんが5連続敬遠された「星稜VS.明徳義塾」の試合もスタメンでした。

 しかし私は92年の敬遠より、今回のサイン盗みのほうが許せません。敬遠はルールで認められていますが、サイン盗みは禁止されています。

 当時、世論は明徳義塾を大バッシングし、その影響があったのか、次戦は敗れました。一方の習志野さんは市立和歌山との次戦に勝利されました。彼らが正常な状態で野球をできたことは良かったと思っています。

 そうしたチームを作り上げた小林監督の人徳も素晴らしいと思います。もし市立和歌山戦で、習志野さんが本来の実力を出せずに負けていたら、騒動を引き起こした当事者として申し訳なく感じたと思います。

 昭和の高校野球で、サイン盗みは当たり前の戦術でした。相手に読まれないようサインを複雑化するなどの対策も普通に行われており、各チームが駆け引きを繰り広げていました。それが変わったのが1998年の横浜とPLの試合で、3塁コーチの指示が問題になり、高野連はサイン盗みを禁止しました。

(編集部註:98年8月20日、第80回全国高等学校野球選手権大会の準々決勝第1試合で、横浜高校はPL学園と対戦。横浜は先発の松坂大輔が、延長17回、250球を1人で投げ切り、9−7で完投勝利した。ちなみにPLのエースは上重聡だった。
 問題となったサイン盗みは、PLの3塁ベースコーチが捕手の構えから松坂の球種を盗み、外角の時は「いけいけ」、内角の時は「狙え狙え」、変化球の時は「絞れ絞れ」と大声を出していた)

 春の選抜と夏の甲子園では毎回、出場校の監督会議でサイン盗みをしないよう説明を受けます。最初の頃は石川県内でもサイン盗みの悪しき伝統は残っていましたが、石川県の高野連の指導や各監督の協力で、今は根絶されました。

 改革が進んでいたにもかかわらず、今回のようにサインを盗まれると、また昔に戻ってしまいます。「平成が終わろうとしているのに、昭和の野球に逆戻りしてしまうのか?」という危機感がありました。

 サイン盗みは、全野球部で解禁するか、全野球部で禁止するかの二者択一しかありえません。ただ、これまで私たちは努力を重ね、サイン盗みをなくしてきました。逆戻りが良いことだとは思えません。

 年々、野球に挑戦する子供が少なくなっているのを実感します。だからこそ、星稜高校野球部の練習に少年野球のチームを招待するなど、微力ながら野球の裾野を広げることを目指しているつもりです。

 高校野球は、国民的行事として愛されています。中でも春と夏の甲子園は、高校野球の手本、教科書になるべきものです。これだけ世間から注目されている中でルール違反が行われると、高校野球における「一生懸命に取り組む姿勢が大事」という素晴らしい精神が根本から崩れてしまいます。

 そりゃ、部員も監督も試合に勝ちたいです。甲子園で優勝したいです。でも、そのためにルール違反を指導していいのでしょうか? 生徒に違反を強要することで、彼らの心にどんな悪影響が及んでしまうのかを考えれば、私はサイン盗みを許すことはできません。根絶しなくてはならないと考えています。

週刊新潮WEB取材班

2019年4月2日掲載

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