相次いだ知人の早世 死に思うこと(中川淳一郎)

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 2018年から19年にかけ、若い知人が次々と亡くなり、「死」について色々と考え始めました。週刊誌には遺産相続や葬儀の手続きなどの記事が多く、「死」が身近な昨今ですが、ここ最近亡くなった方はそこそこ関係が深かったので衝撃は大きかった。

 まず、ニュースサイト・NEWSポストセブンを立ち上げ、仕事をくれた小学館のK氏が18年2月に心筋梗塞により57歳で亡くなりました。6月には、一緒にイベントを何度かやったブロガーのHagex氏が、彼のネット上の発言を逆恨みした男に、福岡のセミナー後に刺殺されました。41歳です。9月には、私が大学時代から仲良くしていた大学職員が突然57歳で亡くなりました。パーキンソン病を患い早期退職をした後、1人暮らしの彼はおでこと目の下に濃いアザがある遺体で発見されたのです。体重が130キロもあった彼の腹は見事なので、私のツイッターのアイコンにこの10年使わせてもらっています。

 ネットの生中継で何度も共演し、ホストを務める番組にも呼んでくれたコラムニストの勝谷誠彦さんもアルコール性の劇症肝炎により57歳で亡くなりました。今年に入ってからは、ネット上の知り合いで、1度私のイベントに来てくれた40歳の男性が交通事故で亡くなりました。

 5人のうち、3人は偶然にも57歳でした。「死の適齢期」という言い方は不謹慎ですが、葬儀や「送る会」、知人による死の報告はいずれも悲愴感がありました。ただ、勝谷さんの場合は、「なんであんなに酒飲んだんだろうね……。まぁ、好き放題やった人生だったからしょうがねー」的な笑いも起きました。大学職員も、遺体安置所では同僚から「風俗に大金を使ったっていつも自慢してたね」と笑いも出ました。

 結局、その死をひたすら悲痛なものと捉えるか、笑いも生まれるかは、故人のパーソナリティ次第なのでしょう。元プロボクサーでコメディアンだったたこ八郎さんは1985年、飲酒の上で海水浴をし、心臓麻痺で44歳の若さで亡くなりました。この時は「たこ、海で溺死」「たこ、海に帰る」といった見出しで報じられます。破天荒だった彼の死は、あの若さでも「たこちゃんはナ……」的な扱いで仲間からも苦笑をもって捉えられましたし、当時小学生だった我々も「タコなのに泳げなかったんだ(笑)」みたいな扱いをクラスでしていました。

 人の死は悲しいですし、「なんであの人が……」と悲痛な思いを持たれる人もいます。いわゆる「大往生」と評される死に方であれば、葬儀でも笑って過ごす人が増えますが、60歳以下の人の葬儀は「早すぎる……」と悲愴感に包まれます。

 しかしながら、たこ八郎さんも含め、若くして亡くなったのに笑顔で送られる人もいます。もちろん、ご家族や大親友は本当に悲しかったでしょう。それは仕方がないとしても、その先の友人や仕事仲間には、自分が60歳以下で死んでも笑っていて欲しい。そのためにはどんな人生を送るべきか――。そう考えると、今まで通り酒を飲み、バカな文章を書き続ければいいのかな、と5人が立て続けに亡くなったことで、新たなる人生の指標を得られました。

中川淳一郎(なかがわ・じゅんいちろう)
1973(昭和48)年東京都生まれ。ネットニュース編集者。博報堂で企業のPR業務に携わり、2001年に退社。雑誌のライター、「TVブロス」編集者等を経て現在に至る。著書に『ウェブはバカと暇人のもの』『ネットのバカ』『ウェブでメシを食うということ』等。

まんきつ
1975(昭和50)年埼玉県生まれ。日本大学藝術学部卒。ブログ「まんしゅうきつこのオリモノわんだーらんど」で注目を浴び、漫画家、イラストレーターとして活躍。著書に『アル中ワンダーランド』(扶桑社)『ハルモヤさん』(新潮社)など。

週刊新潮 2019年3月14日号掲載

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