中川淳一郎×呉智英『バカざんまい』につける薬

社会週刊新潮 2016年9月22日菊咲月増大号掲載

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 バカを論破して痛快・爽快。本誌(「週刊新潮」)連載「この連載はミスリードです」が、『バカざんまい』(新潮新書)として16日に上梓される。この機を捉え、著者の中川淳一郎氏(43)が師と仰ぐ『バカにつける薬』の著者・呉智英氏(70)と対談。知的でタブーなき2時間である。

中川淳一郎 呉さんは今年70歳で、意気軒昂に論壇で発言しまくっているわけです。どういう心境なんですか? 怖くないんですか?

呉智英 怖いって何が?

中川 どうしてそんなに泰然としていられるのか。日本の論客のなかでも、かなり口の悪い部類に入るじゃないですか。

 入りますね。「三大口悪」には。それと、朝生(テレビ朝日系列「朝まで生テレビ!」)にはここ十数年出ていないんだけれど、俺自身が朝生のプロデューサーであっても多分使わないだろうって思う。俺必ず勝っちゃうから。マズいんだよね、議論していて必ず勝っちゃうって。

中川 負けない人生。それがいつ向こう側からやって来るのかと俺は思っていまして。

 それは違うね。俺が前から言っているのは、議論っていうのはあなたもプロレス関係の仕事をやっているならわかるだろうけど、格闘技と同じことなんだよね。相撲の世界だと心技体と言うじゃないの。この3つが大事だって。

中川 と言いますと?

 心っていうのは、絶対勝つ、勝つんだっていう確信。次に技は、向こうがこう来たらこう返すっていう論争術。そして、そのために必要なのが体。常日頃からいろんな情報に接したり、古典を読んだりして教養を身につけておかなければいけない。相撲なら、鉄砲をやるとか、四股を踏み、カロリーが低くてタンパク質が多い鶏肉や魚をちゃんこ鍋で食うとか、それと同じことなんだよ。それやらなきゃ、心技体がなければ強くならない。

中川 モノを書いたり、論を展開したりする人間として、そこは当然やらなくちゃいけないこと。しかしながらここ数年、反知性主義というものが出て来てるじゃないですか。要するに、「そんなに勉強しなくていいじゃん」みたいなことがまかり通っている。

 20世紀の前半ぐらいから、すでに反知性主義ですよ。大衆社会は反知性主義を引き起こすからね。まあそれは後で触れるとして、あなたの今回の本には、類型化されたいろんなバカが出てきますね。

中川 はい。「『無難なコメント』しか言えないバカ」に「『ケースバイケース』と言うバカ」……。

 そのなかで、茂木健一郎がどっかの三流大学、いや三ではきかない、五くらいか、そこで講演して「偏差値教育は良くない」って。どの口で言うんだ。

中川 「お前東大卒だろ?」って話ですよね。呉さんと僕は、「東大偉い。東大行ったやつは尊敬しないといけない」ってずっと言ってきた。だって呉さんは早稲田で僕は一橋。東大の下じゃないですか。

 東大落ちた奴が行くところなんだから。威張ることはないよ、別に。

中川 でもなんで茂木健一郎は東大をこんなに貶(けな)すんでしょう。

 その裏には吉本隆明の存在があると思う。茂木は吉本の愛読者で尊敬しているんだよね。だからそこで、吉本の言う「大衆は素晴らしい」っていう概念が出てくる。

中川 その大衆っていうのはつまり?

 もっと下があって、もっと下がある……下であればあるほど救われるというような大衆論。それが現代の社会通念のようになっている。そんなバカなことはないってずっと俺は言い続けてきているんだが。

中川 努力して東大生になったのに、偏差値が戦犯扱いされ、挙句に叩かれるっていうのは厄介なことです。

 しかも偏差値教育が良くないなんて根拠は何もなく、むしろ一番合理的なんだ。論文や人格とか教養を試すということになったら、とんでもない差別社会になるし、事実、そうなってきている。ある時代までは、田舎の貧しい子供たちが、学校の教科書以外何もないなかで、教科書のみを何度も何度もガリ勉して東大に入っている。

中川 それはだいたいいつごろまでですか?

 1960年代だな。ところが今はピエール・ブルデュー先生が言っている文化資本論のように、文化資本がある奴じゃないと名門に行けないんだ。親が子供にいろんな本を読み聞かせたり、ピアノを習わせるとか、日曜日には博物館とかクラシックの音楽会に連れて行くとか、そういう家庭じゃないと入試問題が解けなくなりつつある。

中川 つまり、教養、人格が問われる場面がぐっと増えてきている。

 となると、上昇のチャンスが無くなってくるんだよ。もちろん偏差値で人間がわかるとは全然思っていないよ。だけど知能をはかるなら偏差値が一番合理的なんだ。

■偉人伝を読ませるべし

 あと、本のなかの「毎週『偉人』を作り出すバカ」にも触れておきたい。俺は子供に偉人伝をもっと読ませろってずっと言ってきた。70年代ぐらいからそれこそ日教組あたりが「差別につながるから子供に偉人伝を読ませるな」とか言って、実際そういう流れになった。で、なぜ偉人伝を読ませるべきか。「ほら見ろお前は凡人だ! こんな風になれっこないんだ」ということを子供に叩き込まなきゃいけないんですよ。

中川 その点は、僕も同じ思いです。

 ファーブルは一日中フンコロガシを見ていた。リンゴが落ちてくるのを見て万有引力を発見できたのはニュートンだけ。木からリンゴが落ちてくるのを見ている奴なんて1億人もいて、その中でニュートンになれたのは1人だけ。1億分の1。お前はニュートンにはなれないってことを教えなくちゃいけない。そうじゃないと人間は無意味な夢を見て、裏切られて苦しむことになる。

中川 ただ、偉人伝には余計なところが少なくありません。たとえば、冬の寒いなか、主君のために草履を懐に入れて温めましたとか、無駄な努力に関する描写があること。

 いや、当人にとっては無駄じゃないけどね。ともあれ、こうやって偉人にはなれないだろって言うため、子供に読ませなきゃいけないんだ。お前なんかなれるわけないから夢なんて持つなと。

中川 現実的に、就職して〇年以内には係長になるとかね。

 そう、そういう堅実なスケジュールが大事。

中川 手前味噌な本の宣伝はこれくらいにして、呉先生にお聞きしたかったのは、最近、「PRマン」じゃなく、「PRパーソン」と呼ぶ風潮についてです。

 あれは良くないですね。最近では「ヒューパーソン」とまで言い出して。

中川 そうなんですか。ヒューマンがヒューパーソン。

 語源的に間違えている。

中川 マンはどうなっちゃうんですか。

 男という意味でなら良いけど、人という意味だったらマンは避けてパーソンに、となってるでしょ。だからキーパーソンとか、チェアマンもチェアパーソンって言うようになったでしょ。

中川 キーマンとかは全部。

 ダメ。キーパーソン。ポリティカル・コレクトネス(政治的・社会的な平等)に則っているわけだね。ヒューマンもアメリカではそうなりかけたけど、これは無学な連中が言ってることで、教養層は語源が違うんだからヒューとマンで分けるもんじゃないんだとしている。

中川 人食い動物を「マン・イーター」って言うじゃないですか。あれも「パーソン・イーター」にしなくちゃおかしくなってくる。

 無茶苦茶だよ。

中川 こういった、ある種の言葉狩りの話で言うと、僕らニュースを配信している立場なんですけれども、勃起障害という言葉は「使用NGコード」に引っかかる。EDなら良いんですよ。逆に成人動画は良いけどそれをAVって言い換えるとダメ。更に、セックスレスはOKだけどセックスはマズい。というのも、「セックスというのはエロい行為を連想させるが、セックスレスは社会現象として認められてるから」と。

 無茶苦茶だ。しょうもないコードだね。

■「弱者アピール」

中川淳一郎氏

中川 加えて、顕著なのが「弱者」の問題。「弱者になりきればそれだけ強くなる」という現象が発生しています。国民健康保険料をどのぐらい払っているかについて、僕はネットで書いたんですよ。収入が高ければ保険料もあがるわけですが、そうしたら叩かれたんです。

 なんで叩かれるの?  何が悪いの? よくわからない。「俺はこんなに払えるぐらい金持ちだと威張るのは良くない」と言いたいの?

中川 まずそこが1つ。それと、「弱者に対して施しをしているとお前は言いたいのか」とも。こっちとしては、税金の支払いは、憲法に定めるところの義務だという考えのもとに開示をしているわけですね。そして、「保険料を89万円払いましたけど、実際に私が去年使った医療費は1万5000円で済んだから良かった」とも書いたんですよね。つまり、「健康で良かった。差額の87万円で、もしかしたら誰かの命を助ける結果になったかもしれない」という文脈で書くと叩かれたんですよ。それは強者の論理だと。

 弱者に施しをして何がいけない。良いに決まっている。俺は今までそうしてきた。

中川 でも、そのときにネットだと……いぼ痔だから毎日うんこするとき血が出て。

 しかも膝が悪くて。

中川 ポコ〇ンが2センチしかなくて。

 しかもハゲで。

中川 デブで。

 蓄膿だ。

中川 そういう「弱者アピール」なしに持論を展開すると炎上しかねない。この息苦しさってなんですかというようなことも、『バカざんまい』に綴っています。

 それこそ、ニーチェの言っている「ルサンチマン」理論でさ。20世紀に入って大衆社会になると、弱者が抱く不満とか憎悪なんかが出てくるわけだよ。

中川 でも、縄文時代だって大衆社会だったんじゃないんですか?

 問題なのは「発言するかしないか」なんだよ。弱者はいつだっている。ネットには、誰でも言う権利があって誰でも発言するべきだという前提がある。その一方で、沈黙している大衆は不満があろうと、これを漏らすことはない。

中川 それにしてもですよ、なんで弱者が強みを持つんでしょうか。どうして、弱者におもねる強者が登場するんでしょうか。

 近代社会ってそういうものなんだから。下であればそれだけ素晴らしいっていうものでしょ。

中川 じゃあみんなで包茎になるべきなんですか。

 俺はずっと前からそれを言っている。

中川 包茎になって痔になるべきなんですね。

 痔? ……まぁそれはそうだね。

中川 痔はまだ弱いですか?

 蓄膿も。ハゲと口臭に◎○と×△も。マイナス付加価値をどんどん増やしていって。

中川 これは参りましたね。いったい僕たちは、どれだけ弱くなれば許されるんですかっていう話ですよ。

■ジャンク知と帯説

呉智英氏

 改めて本で面白かった点をあげると、「側溝からスカートを覗くバカ」。(編集部註:側溝に長時間潜伏し、女性のスカート内を覗いていた男が2015年に逮捕され、「自分の短所は側溝に入ってしまうこと」「生まれ変わったら道になりたい」などと供述。これを受け、ネット掲示板「2ちゃんねる」で、さまざまな変態をランク付けする「変態番付」が作動、この男は、「横綱・側溝道」と命名されるに至った)

中川 冒頭の論客のお話同様、この変態男の「心技体」が大いに評価された結果でした。いずれにせよ、2ちゃんねるにも、惻隠の情があるんですよ。

 確かに、その点には笑ったけれどね。でも、ああいう「書き込み板」「ネット掲示板」が出てきたときは、「これによって大衆の真の発言権が保障される」みたいなバカを言った者もあったけれど、実際にはまったくそうなっていないよね。更に、あのような空間で跋扈するネット右翼は、「支那」っていうのが差別語だと思って喜んで使っている。支那を差別する言葉が別にあるのを知らないんだ。アメリカ人に向かって、「アメリカ人アメリカ人」って言って何か差別しているつもりでいるんだよ。

中川 でも、インターネットだと、「正しい」「いいね」とみんなが言ったらそれが真実になっちゃいます。

 そういう書き込み板みたいなものって、中川君も言ってたと思うんだけど、小さい蛸壺のなかだけの話。で、そのなかには3匹ぐらいしか蛸がいないのに、そいつらが話しているのが世論であると思ってしまっているわけさ。結局ネットに流れている情報って、ごく当たり前の感情論みたいなものばかり。量全体は大きくなっているけれど、そのなかでほんとに大事な情報ってない。

中川 集合知ってもてはやされたけど、そうはなっていないと。

 「ジャンク知」があるだけ。ここは週刊新潮だから難しげなことを言った方が良いと思うのでそうしますが、「帯説」なる言葉があります。

中川 たいせつ、ですか?

 「多少」って言ったときに、多なのか少なのか。多だけだとおかしいから語調を整えるために少を付けるのを帯説と呼ぶ。これは、新明解(国語辞典)と大言海あたりにしか出ていないし、もちろん、わかりやすく解説してくれるようなものはネットにない。そういうのを集合知は備えていない。衆愚はしょせん衆愚。本当に大事なことは教えてくれないんだ。

特別読物「中川淳一郎×呉智英『バカざんまい』につける薬」より

中川淳一郎(なかがわじゅんいちろう)
1973年東京都生まれ。ネットニュース編集者。一橋大学卒業後、博報堂で企業のPR業務に携わり、2001年退社。ライター等を経て現在に至る。著書に『ウェブはバカと暇人のもの』等。「サッポロ黒ラベル」党。

呉智英(くれともふさ)
1946年愛知県生まれ。マンガ評論、知識人論など、さまざまな分野で執筆活動を展開。日本マンガ学会前会長。著書に『現代人の論語』等。無類の腕時計好き。