菅官房長官と対決! 東京新聞望月記者はなぜ違和感を持たれるのか

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 記者会見場における菅官房長官と東京新聞の有名記者、望月衣塑子氏との対決が注目を集めている。特に菅官房長官が発した「あなたに答える必要はない」という言葉が一部からは厳しく批判されているのだ。
 この間、長官側が問題視してきたのは、望月記者が従来から「事実と異なる質問」をしてきたことや、質問というよりも意見や主張をぶつけてきたことだ。
「事実と異なる質問」というのは、日本語としてちょっとヘンなのだが、言いたいのは「質問の前提としていることが事実と異なる」ということだろう。

 この件ではメディアの中でも望月氏を応援する人もいる一方で、その取材ぶりに批判的な人や違和感を表明する人もいる。
 たとえば池田信夫・アゴラ研究所所長は、ツイッターで「望月記者の暴走を止められなかった記者クラブの自業自得」と述べている。安倍政権に対して日頃は厳しいコメントをすることが多いジャーナリストの江川紹子氏も、同じくツイッターで、「政権批判者から、官房長官会見でわーわー言ってるヒマがあったらネタを追え、という声が出ないのが不思議。ここを主戦場にするのは違うと思うよ」という見方を示している。

 官房長官という「権力側」と対峙するというのは、ジャーナリストとしては真っ当な仕事ぶりのはずである。にもかかわらず、望月氏に批判的な見方が少なくない理由の一つは、その質問がよくわからないものが多いからだろう。文字に起こした場合に、日本語として成立していないことが多いのだ。たとえば「あなたに答える必要はない」という発言が飛び出した会見での質問も、

「東京(新聞)望月です。関連で……あ、関連じゃない。官邸の東京新聞への抗議文の関連です……」

 といういささかとっちらかった感じでスタートしている。
 望月記者の場合、こういう感じの日本語をかなりの早口で、なおかつ長文で言うので、そもそも何を聞きたいのかが、官房長官ならずともわかりづらい、というあたりは不評の原因の一つである。
 加えて「権力の監視」という点での資質を問う見方もある。確かに望月氏は現政権には厳しいスタンスで「監視」をしているように見える。しかし、たとえば昨年の週刊誌での対談記事で望月氏は、警察や特捜検察の担当記者時代を振り返りつつ、こんな驚くべき発言をしている。

「特捜と国会は向かうところが違う。特捜の場合は、取材対象と記者は事件解決という同じ目標物に向かう。

 だから取材対象に対して、必ずしも批判性が前面に立つわけではありません」(「サンデー毎日」2018年4月8日号)

 この発言がジャーナリストとして特異なのは、本来、警察や検察の担当記者の仕事は、検察という「権力の監視」であって、一緒に事件を解決することではないからだ。
 警察や検察は強大な権力を持つ。だから冤罪を生むこともある。それをチェックするのはメディアの大きな仕事である。メディアと検察が結託して、“事件解決”に突き進むことは危険だ、というのが本来のジャーナリズムの常識のはずだ。

「実際には、日本の場合、特に記者クラブの記者の多くは、警察や検察と手を組んで、事件報道をしています。リーク情報の垂れ流しはその典型ですよね。でも、それは『権力の監視』という原則の正反対でしょう。この発言を見た時には、目を疑いました」(週刊誌記者)

 また、江川氏が指摘しているように、政権を追及するにしても、そもそも記者会見の場が「主戦場」でいいのか、というのも論点の一つだろう。
 会見の場で「悪いことをしていませんか?」と聞いて「はい、やっています」と答える人はまずいない。独自に取材したネタを一対一でぶつけるのが本道だ、というのもまたジャーナリズムにおける常識だ。

 元朝日新聞記者で、現在はフリージャーナリストとして活躍する烏賀陽弘道氏は、著書『報道の脳死』の中で、「記者会見」について次のように述べている(以下、引用は同書より)。

「告白しておくと、私は『記者会見』の取材をこれまでほとんどやったことがない。それでも取材して書くという仕事は何一つ不自由なく成立した。私が書いてきた種類の記事や本に、その必要がほとんどなかったからだ」

 烏賀陽氏は新聞のほか、週刊誌記者の経験もある。フリーのみならず、週刊誌記者も往々にして記者クラブによって記者会見からは排除される。

「それで官庁や企業取材が不自由だったかというと、実はまったく不自由も不便も感じたことがない。記者クラブが仕切る『会見』に出席しなくても、取材も原稿執筆も何一つ不自由なくできた。
 ではどうするか。直接『担当部署』に行って、『担当者』に話を聞くのだ。まず広報・報道担当セクションに電話をする。簡単に取材の用件を説明し、担当者の氏名、メールアドレス、ファクス番号を聞く(略)
『朝日』『元朝日』の肩書きがあったから可能だったのではない。アエラ時代もフリー記者になってからも、取材を断られたことはほとんどない。特に中央官庁はほとんど断らない。取材慣れしていない地方の市町村役場では断られることはあるが、直接出向くとまず間違いなく対応してくれる」

 そして、記者会見ではなくこうした個別取材をする理由をこう述べている。

「私の個人的な実感では、記者会見で質問をして答えさせるより、実務担当者に対面して取材するほうが、はるかに成果が多い。取材相手1人~数人とこちら1人(原則)なので、取材時間を独占できる。最大数の質問ができる。答えを聞きながら再質問し、不明点をその場で解決していける。取材の密度が高まる。声や顔の表情、手の動きを近くから観察して『言外のニュアンス』を察することができる、など」

 もちろん、官房長官クラスの大物となれば、簡単に個別取材には応じないだろう。しかし、それでも記者会見に過大な期待をするのはお門違いのようだ。

「記者会見で特ダネなど出ない。他社も聞いているから特ダネになりようがない。衆人環視のなか、腹を割ったやり取りなどできるわけがない。会見の外の取材のほうが断然実りが多い。新聞社やテレビ局に務める同業者たち、特に官庁の記者クラブにいる記者にとって、記者会見を記事にする作業は、どちらかというと退屈で、やりたくない仕事に入る」

 ある意味で、そんな退屈な記者会見に注目を集めた点は、望月氏の功績と言えるかもしれない。あとは政権が震え上がるような「ネタ」をつかめるかどうかが、評価の分かれ道になるというところだろうか。

デイリー新潮編集部

2019年3月13日掲載

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