ゴキブリを奴隷化する宝石バチ その緻密かつ大胆な洗脳方法 【えげつない寄生生物】

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 ゴキブリを奴隷のように支配したり、泳げないカマキリを入水自殺させたり、アリの脳を支配し最適な場所に誘って殺したり――、あなたはそんな恐ろしい生物をご存じだろうか。「寄生生物」と呼ばれる一見小さな彼らが、自分より大きな宿主を手玉に取り翻弄し、時には死に至らしめる様は、まさに「えげつない!」。そんな寄生者たちの生存戦略に、昆虫・微生物の研究者である成田聡子氏が迫るシリーズ「えげつない寄生生物」。第1回は「ゴキブリを奴隷化する宝石バチ」です。

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 今回、キラキラとしたハチに襲われたのは、ワモンゴキブリというゴキブリの一種です。日本に住む多くの方が1度や2度は自宅で目にしたことのある、あの虫です。

 ゴキブリは全世界に約 4,000 種もあります。その数は 1兆 4853億 匹ともいわれており、日本だけでも 236億 匹が生息するものと推定されています。ざっと計算すると、日本人1人につき、200匹のゴキブリがいるということですね。これを多いとするか、少ないとするかはさておき、ゴキブリはいろいろな意味で驚くべき昆虫です。

ゴキブリのすごい所4つ

 第1に、ゴキブリは相当な古参者です。約3億年前の古生代・石炭紀に地球に登場した最古の昆虫のひとつ。大きさも形も当時とほぼ変わっていません。3億年前なんて、人類はおろか哺乳類さえ地球に存在していなかった時代です。そんな時代から絶滅もせず、生き残ってきた奇跡の昆虫とも言えます。むしろ、私たちはそんな何億年にも渡って生きてきた生物と共存できている現在に感動しなければならないのかもしれません。

 第2に、ゴキブリは好き嫌いがなく何でも食べられます。昆虫の多くは、ある数種類の植物や昆虫しか食べられず、言わば好き嫌いが激しいのです。もちろん、実際は好き嫌いという嗜好の問題ではなく、他の種類の植物などを食べても栄養として吸収できない体なのです。しかし、ゴキブリは何でも食べる雑食性。人間の食べかすはもちろん、家の壁紙や本の紙、仲間の死骸やフンまで平気で食べて命をつなぎます。

 第3にゴキブリはとても繁殖力旺盛です。ゴキブリのメスは1度の交尾で何度も産卵でき、そのたびに“卵鞘(らんしょう)”と呼ばれる、複数個の卵が納められているカプセルを産み落としていきます。この1センチ強の卵鞘は、見た目は少し大きめの小豆のようです。そして、この卵鞘はとても硬い殻に覆われているので、殺虫剤が効きません。

 一般家庭でよく見られるクロゴキブリの卵鞘1個の中には卵が22~28個入っています。そして、メスの産卵回数は15~20回。つまり、1匹のメスがゴキブリの子どもを500匹ほど産むことができるのです。「家にゴキブリが1匹でたら、100匹はいると思え」とはよく聞かれることですが、正確には「家にメスのゴキブリが1匹でたら、500匹はいると思え」が正確かと思われます。

 第4にとにかく素早いこと 。ワモンゴキブリの場合、1秒間に約1.5メートル走ることができます。つまり1秒間に自分の体長の40~50倍の距離を進むことに相当します。このスピードですが、人間の大きさに換算すると1秒間に85メートルほどのスピードで東海道新幹線よりも早いということになります。

 やはり、知れば知るほど卓越したその能力に敗北感を味わわされ、人はゴキブリを怖がり嫌うのかもしれません。しかし、そんな世界の嫌われ者のゴキブリを意のままに操り、奴隷のように自分に仕えさせるハチがいるのです。

ゴキブリを襲う美しいハチ

 上のシーンでワモンゴキブリに襲い掛かったのは、エメラルドゴキブリバチ(emerald cockroach wasp, Ampulex compressa)という寄生バチです。このハチは名前の通り、宝石のエメラルドのようなハチです。メタリック光沢を持ち、脚の一部はオレンジですが、それ以外の部分はエメラルド色に輝く美しい金属の調度品のようです。その美しさから、英語圏では「ジュエル・ワスプ (宝石バチ) 」と呼ばれています。エメラルドゴキブリバチは主に南アジア、アフリカ、太平洋諸島などの熱帯地域に分布するジガバチ (セナガアナバチの一種) の仲間で、体長は2センチ程度です。残念ながら、日本には住んでいません。

 このハチの名前には「エメラルド」の他に「ゴキブリ」という言葉も入っています。お察しのように、このハチはその名の通り、ゴキブリだけを襲撃します。しかも、その襲撃相手は、ワモンゴキブリやイエゴキブリなど自分よりも倍以上体の大きいゴキブリたちです。

 しかも、先ほども少し触れましたが、ゴキブリはその素早さを武器に、走り去ったり、飛んだりすることもできます。自分の体よりも何倍も大きく、素早いゴキブリを襲撃して、成功する確率はかなり低そうに見えます。しかし、このエメラルドゴキブリバチには秘策があります。では、その緻密かつ大胆な秘策を見ていきましょう。
 

逃げる気が失せるゴキブリ

 エメラルドゴキブリバチは、最初に逃げまどうゴキブリの上から覆いかぶさり、顎でかみついて身動きを取れないようにします。そして、すばやく針を刺します。針を刺す場所は、かなり厳密です。

 どんな場所に針を刺していたかについて、2003年に行われた研究で明らかになりました。この研究では、放射性同位体をトレーサーとして用いて、ハチの毒がゴキブリの体のどこに向かったかを追跡しました。すると、ハチの毒はゴキブリの胸部神経節に入っていることが分かったのです。しかも、その場所に毒を注入されることによって、ゴキブリは前肢が麻痺しました。

 この1回目の麻酔は、2回目の注入のための準備です。前肢が麻痺したゴキブリはほとんど動けなくなります。その間に、より正確な場所を狙ってゴキブリの脳へ毒を送り込みます。この2回目の注入では、ゴキブリの逃避反射を制御する神経細胞を狙ってハチの毒が流入しています。つまり、1回目の注入で、ゴキブリを暴れないようにし、2回目の注入で「逃げる」という行動そのものを抑えていたのです。

 この2回目の注入の効果について明らかにした2007年の論文があります。この論文では、エメラルドゴキブリバチの毒が神経伝達物質であるオクトパミンの受容体をブロックし、それによって「逃げる」という行動を抑制していたことが明らかとなっています。
 逃げる気を失ってしまったゴキブリは、この後どうなってしまうのでしょう。

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次回の更新予定日は2019年3月15日(金)です。

成田聡子(なりた・さとこ)
2007年千葉大学大学院自然科学研究科博士課程修了。理学博士。
独立行政法人日本学術振興会特別研究員を経て、国立研究開発法人医薬基盤・健康・栄養研究所霊長類医科学研究センターにて感染症、主に結核ワクチンの研究に従事。現在、株式会社日本バイオセラピー研究所筑波研究所所長代理。幹細胞を用いた細胞療法、再生医療に従事。著書に『したたかな寄生――脳と体を乗っ取り巧みに操る生物たち』(幻冬舎新書) 、『共生細菌の世界――したたかで巧みな宿主操作』(東海大学出版会 フィールドの生物学⑤)など。

2019年3月1日掲載

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