團十郎襲名決定で、“撮り鉄”や“乗り鉄”が大注目する市川家“特別列車”とは

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鉄道ファンも“一生に一度”

 1月15日、東京・東銀座の歌舞伎座で、十一代目市川海老蔵(41)と長男の勸玄くん(5)が共に襲名を発表し、会見が行われた。

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 2020年5月、父は十三代目市川團十郎白猿、息子は八代目市川新之助となる。同年5月から7月にかけて、“史上最大級”という襲名公演が開かれる予定だ。

 歌舞伎ファンにとっては“一生に一度”のビッグイベントであることは言うまでもない。ところが意外なことに、鉄道ファンも胸を躍らせているようだ。

 それも京成上野と成田空港などを結ぶ、京成電鉄のファンならなおさらだという。一体、どういうことなのか、ある鉄道ファンに訊いた。

「京成電鉄は、市川團十郎が襲名されるたび、特別の『團十郎号』を運行させるのです。市川家は代々、成田山新勝寺に襲名を報告し、歌舞伎を奉納してきました。そうした歴史から、いわば團十郎のために“特別列車”が用意されるというわけです。襲名を祝うマークが車両の先頭に飾られる可能性は高く、鉄道写真愛好家の“撮り鉄”や、乗車を愛する“乗り鉄”にとっても、歌舞伎ファンと同じく“一生に一度”のビッグイベントなのです」

 京成電鉄に取材すると、資料の提供を受けた。市川家、成田山、そして京成電鉄が、長年、深い関係を築いてきたことが分かる。特別列車の歴史を表にしたので、ご覧いただきたい。

“襲名”という節目には、京成の特別列車が必ず運行されてきたことが分かる。人気役者のために電車が走るなど、全世界でも類例は少ないに違いない。

 それでは栄えある第1号からご紹介したいのだが、同社によると「何しろ半世紀以上前のことですので、資料が確認できませんでした」と言う。

「勸玄さんから見ると、ひいお祖父さんにあたる九代目市川海老蔵さんが1962年、十一代目市川團十郎を襲名されました。これを記念し、最初の團十郎号が京成上野と京成成田の間を走っております。ただ、いつ運行されたのか、どんな運行ダイヤだったのかという記録が残っておりません。分かっているのは臨時電車だったことと、3100形という通勤・通学に使われる、ごく普通の車両で編成されたということだけです」

 臨時電車ということは、上野と成田をノンストップで結んだ可能性はある。とはいえ、運行ダイヤが消失しているのだから、全ては“藪の中”だ。

 1962年といえば昭和37年。日本の首相は池田勇人。当時を知る社員も全員が退職し、その多くが物故されている。不明点が多くて当然だろう。しかし同社は「團十郎号が話題となり、イベントが成功裡に終わったとは類推できます」と言う。

「今でも歌舞伎は高い人気を誇りますが、当時は更に広範な支持を受けていました。大スターだった十一代目市川團十郎さんが電車を貸し切って成田山に参拝されるというインパクトは、当時は相当なものがあったのではないでしょうか。何よりの証拠に、69年には海老蔵号が走りました。62年の團十郎号がイベントとして失敗したのなら、第2弾が実施される可能性は低いはずです」

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