慰安婦、金大中事件、竹島上陸… 元駐韓大使がひもとく「韓国」反日の裏面史

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竹島上陸を止めるよう忠告したが

 2003年に金大中氏を継いで大統領となったのが盧武鉉氏である。人権派弁護士であった彼は、小泉首相の靖国参拝に反発し、次第に反日姿勢を鮮明にする。盧氏の反日行動のうち、特に深刻な影響を残したのが竹島問題だ。06年、国連のアナン事務総長と会談した盧氏は、竹島について「日露戦争当時、日本に強制的に占領された」と訴えた。本来純粋な領土問題であったものを日本の侵略、軍国主義と結び付け、“歴史問題”へと格上げしたのだ。

 竹島問題は、1952年、初代大統領の李承晩氏が一方的に海洋境界線、いわゆる「李承晩ライン」を設定し、その中に竹島を取り込んでから対立が始まった。盧氏がそれを戦前の日本の侵略と結びつけた結果、竹島に関する日本側のいかなる言動に対しても、韓国は格段と強い反発を示すようになったのである。

 その後、韓国が日本に不満を感じるたび竹島問題を持ち出すようになる。2012年8月、李明博大統領が自ら竹島に上陸したのだ。李氏は、慰安婦問題に関する日本の対応に不満を抱いていた。私は当時、駐韓日本大使として勤務していた。以前から日韓間で問題が生じるたび、多くの韓国国会議員が竹島に上陸しており、大統領による上陸の可能性についても事前から噂されていた。そこで日本大使館では、韓国側の要人と会うたびに「国家元首による上陸は、日韓関係に致命的なダメージを与える」と忠告し、取り止めるよう求めてきた。

 ところが前日になって突然、大統領が上陸を強行することが報道関係者に伝えられた。これを聞いた私はまず公使に指示して、韓国外交通商部のアジア局長に真偽を確かめさせたが、局長は何も知らないと言う。そこで私自身が、外相と大統領府外交安保首席の携帯を鳴らし、真偽を確認した上で上陸断念を要請しようとした。だが、彼らは居留守を使い、大使である私の電話にすら出ようとしなかった。

(2)へつづく

武藤正敏(むとう・まさとし)
元外交官。1948年、東京都出身。横浜国大卒。外務省に入り、駐ホノルル総領事、駐クウェート大使などを歴任。2010年に駐韓大使となり、12年退官した。著書に『韓国人に生まれなくてよかった』など。

週刊新潮 2019年1月31日号掲載

特別読物「元駐韓大使がひもとく『韓国』反日の裏面史」より

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