慰安婦、金大中事件、竹島上陸… 元駐韓大使がひもとく「韓国」反日の裏面史

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平穏な時期もあったが

 慰安婦問題は、2015年、朴槿恵政権との間で「最終的かつ不可逆的」合意が結ばれたが、重要なことは、これまでのように日本側の一方的譲歩でなく、日韓双方が譲歩し合ったことである。これは今後の良い前例となるはずであった。

 合意では、アジア女性基金が政府資金でなかったことへの批判を踏まえ、日本政府として資金を拠出した。これに基づいて韓国政府が設立した財団の理事長が、全ての元慰安婦を説得した結果、約7割が合意を受け入れた。しかし文政権は、残り3割の慰安婦の反対と、“国民情緒”を理由に一方的に合意を反故にした。7割の慰安婦は、この合意によって、自分の一生の苦労を過去のものとして、安らかな老後を送りたかったのではないか。

 日韓の間にも平穏な時期がなかったわけではない。21年前の1998年、当時の金大中大統領が訪日し、小渕総理と「日韓パートナーシップ宣言」を発表した。韓国ではそれまで禁止されていた日本文化の紹介が認められ、様々な交流が活発となった。この合意の前提となったのは、日本が民主主義国となったことを認めた点である。金大中氏以外の大統領の時代には、日本が軍事大国化するとの認識が広められてきた。

 90年代にソウルの大使館で政治部長を務めていた私は、大統領就任前の金大中氏と数回会っている。印象的だったのは73年の「金大中事件」にまつわる話だ。著名な民主化運動家だった金氏を、韓国中央情報部(KCIA)が東京で拉致、船で韓国まで連れ去った事件だが、彼は私に「移送中、後ろ手に縛られて海に捨てられる寸前、日本の自衛隊機が上空で“威嚇飛行”してくれたおかげで命拾いした」と再三語っていたのだ。彼の話が本当かどうかはわからないが、今日のレーダー問題における韓国側の主張を思えば、何とも皮肉なエピソードである。金大中氏が、軍政の被害者だから、日本の民主化を認められたのだろう。

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