「宮沢りえ」自殺未遂の陰に「勘三郎」じゃない「歌舞伎役者」

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「平成」が“歴史”になるにはまだ早い。にもかかわらず、すでに覆されようとしている“定説”もある。1994年(平成6年)9月24日未明に起きた宮沢りえ(45)の自殺未遂騒動をめぐり詳らかになった“新説”とは……。

 まだ夜も明けきらぬ午前5時。部屋に踏み込んだホテルの従業員がそこで目にしたのは、鮮血で真っ赤に染まった床と、腕にタオルを巻いて横たわる宮沢りえの姿であった。

 取材に携わった芸能記者が当時を振り返る。

「あのとき、りえさんは国際映画祭に出席するため京都市内のホテルに母親と宿泊していたんです。しかし、彼女は深夜に一人でホテルを抜け出し、別のホテルにチェックイン。そして、部屋にあったガラス製のコップの破片で手首を切り、自殺を図ったのです」

 お騒がせ女優の自殺未遂騒動に世間は沸騰。りえ側はすぐさま単なる転倒による怪我だと自殺未遂を否定したのだが、

「実は、この日、同じホテルの8階に、りえさんと親しかった中村勘三郎さんが宿泊していた。二人は騒動の前夜、祇園で会っていたこともあり、妻子のあった勘三郎と痴情のもつれの末、彼女が自殺未遂に至ったと見られていました」(同)

 しかし、『勘三郎伝説』の著者でエッセイストの関容子氏によれば、

「しばらく経った頃、たまたま勘三郎さんとこの話をしたことがあったんです。彼は“もし自分の目の前で彼女が自殺未遂をしたのであれば、僕は必ず救急車を呼ぶ。自己保身に走ったり、逃げるようなことは絶対にしない”と、自分があの事件に関わっていたかのような当時の報道を強く否定しておられました」

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