「宮沢りえ」自殺未遂の陰に「勘三郎」じゃない「歌舞伎役者」

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恋する乙女

 道ならぬ恋が理由でないとすれば、真相はどこにあるのか。

「ステージママの意のままに“宮沢りえ”を演じることに嫌気が差したんですよ」

 とため息交じりに話すのはさる事情通である。

「あの親子は何をするにも一心同体で“一卵性母子”といわれたほどでした。母親は、りえさんに箔を付けようと、事あるごとにパーティーを開き、各界の大物を招いて“見合い”をさせた。彼女も母親のお眼鏡に適う人物でなければ交際することはありませんでした」

 しかし、そんなステージママも娘に“自我”が芽生え始めていたことまでは、気づけなかった。

「あの当時、りえさんは市川猿翁の門弟だった若き歌舞伎役者に恋をしていたんです。でも役者といっても、満足に役も貰えないような名もなき若手。大物との交際を望んでいた母親に知られれば反対されるのは目に見えていました」(同)

 もっとも、そこは母親譲りの“激情型”である。恋情を抑えられるはずもなく、

「りえさんは母親の目を盗んでは彼に電話をしたりして、愛を育もうとしていた。飲み会なんかで、彼の姿を目で追う彼女の表情は、恋する乙女そのものでしたね。でも、あの騒動の直前、りえさんは彼の知人から、彼に恋人がいることを知らされてしまったのです」(同)

 母親の意に沿わぬ片思い。しかしこのとき見せた一時の気の迷いすら、彼女は大女優への糧としてみせたのである。

週刊新潮 2019年1月3・10日号掲載

ワイド特集「平成30年史の『俗物図鑑』」より

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