香山リカ 怒り始めた娘たち 「母娘ストレス」の処方箋

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ママにはもう振り回されたくない!
母親からのストレスに耐え続けてきた娘に、最後は介護がのしかかる! 自身も娘として母への「微妙な違和感」を自覚する著者が、悲鳴をあげ始めた娘たちに寄り添いながら、明るく生きるための解決法とエールを贈る。

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私だけじゃない/近藤ようこ

 この本(『怒り始めた娘たち―「母娘ストレス」の処方箋―』)を読んで思い出したことがある。若い男性から聞いた話。彼の女友達は少女の頃から母に「一番好きな人と結婚したら幸せになれない」と教えられていた。それを守って二番目に好きな人と結婚して幸せになった。娘は母に感謝し、その話を聞いた彼も人生のスゴイ真理を学んだ気になったようで、大年増の私に諭すように語ってくれたのだった。そのドヤ顔に私はニヤニヤ笑いで応えたが、内心はこうであった。おいおい、それって母による支配だよ。母はたぶん、一番好きな人と結婚できなかったことを悔やんでいるか、一番好きだった人(娘の父)との結婚を悔やんでいるだけで、そんなのは娘個人の幸せとは関係ないんだよ。……そして、この本。

 ああ、痛い痛い。この本に登場する、支配する母との関係に悩み、ストレスに苦しむ娘たちのエピソードは私にはほとんど全部覚えがある。しかも彼女たちは母に愛されているのも知っているので、その母に傷つけられていると思う自分に罪悪感さえ持っているのだ。そのうえで老いた母の介護に直面する! 支配的な母は老いて弱くなったことによって娘を解放するどころか、もっと苦しめる存在にもなりうる。

 私自身は彼女たちよりもっと虐待寄りの仕打ちを母から受けていて、自分の不幸に自覚的だったが、そのためにより早くから対処できたのだともいえる。私は大学進学で物理的に母から「逃げた」。

 私は二十年程前『アカシアの道』という漫画を描いた。それは映画化されたが、なぜか感動老人福祉映画と宣伝されてしまい、本来のテーマである母を愛せない娘が認知症の母を介護する苦悩は隠されてしまった。そんな親不孝な話だと知れると、観客が集まらないという懸念があったのかもしれない。まだ世間がそういう時代だったのだと思う。

 今、この本にある通り、娘たちは母の支配を自覚し、傷つけられたことを表明するようになった。それが許されるようになった。かといって、娘たちの苦悩が即解決されるわけではない。

 実はこの本にも、「あなたの母子関係はこうすれば劇的に改善されます」「悩みはスッカリ消えます」というような、簡単な対処法は載っていない。母子関係を描いた小説を分析したり、「もっといい親をイメージする」「母との問題は人生のすべてではないと認識しよう」と提示されたりしても、現実に血を流す苦しみの只中にいる娘には、極楽から垂らされた儚い蜘蛛の糸を見るようではないのか。これは私自身が若い頃から救いを求めて、こういうジャンルの本を読んで感じてきたことなのだが。

 それならば、読んでも無駄なのか。救いはないのかというと違う。自分の経験からいっても「私のように悩んでいる人が他にもいる」「悩んでもいいのだ」「私の悩みをわかってくれる人がいる」と知ることが一番の救いなのだ。これで心の突破口を開けたら、あとはぶっちゃけ自分でできることをするしかない。

 そして否応なく訪れる、物心ともに疲弊するであろう母の介護、これも状況は一人一人違うのだから、万能な解決策はない。著者は苦しいだろうけど母の老いを見て、自分自身の今後の生き方を学ぼうと提案する。なんだか綺麗ごとのようだが、五十代後半の私にはこれが大変よくわかる。この年齢だからなのか、母との闘争が一段落したからなのか、もう過去の恨みに囚われているのは時間の無駄に思える。もっと自分自身のことを考えてやってもいいではないか。

 これから自分が少しでも幸せに生きて老いていくために、母の老いを観察する。それ自体は復讐でも犠牲でもない。私ですら、ちょっとだけ愛情らしき感情が湧いたりする一瞬もある。母子とは複雑で面倒くさいものだとあらためて思う。いや、ともかく自分が一番大事だ、これからは。

「波」2014年9月号 掲載