大河「いだてん」で注目、当時の最年少職員が明かす東京五輪「国旗」秘話

スポーツ週刊新潮 2016年8月11・18日夏季特大号/2019年1月14日再掲載

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 いよいよ来年に迫った「東京五輪」の開幕に先立ち、この1月からNHK大河『いだてん ~東京オリムピック噺』の放送がスタートした。1964年の「東京五輪」成功までの道のりを描いた本作には、最年少職員として大会に携わった吹浦忠正氏も、資料提供などの形で協力している。

 国旗と儀典の専門家である吹浦氏は、現在、週刊新潮で「オリンピック・トリビア!」を連載中。2016年には拡大版として、自身が体験した「国旗」をめぐる秘話を綴った。知っておけばドラマをさらに楽しめること請け合い(?)のエピソードを紹介しよう(以下は16年8月11・18日号掲載当時のもの)。

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 あれは3軒目の飲み屋を出た時だったでしょうか。東京五輪の開会式が行われる1964年10月10日。時刻は午前3時近かったと思います。夜空を見上げると、雨が上がって嘘のような満天の星。「天の恵み」に、私は思わず身震いしました。

 前日、10月9日は午後3時頃から土砂降りの大雨。当時の開会式は荒天なら中止で、順延はありません。雨脚は日が暮れても強まるばかりで、「この2年間は何だったのか――」と、組織委員会の式典課にいたメンバーはみな打ちひしがれました。どうせなら飲み明かしてやろう、と、その夜、メンバーは誰からともなく、まず四谷、続いて新宿の居酒屋へと流れました。最後に残った3名が高田馬場の飲み屋でクダを巻いていた頃、きっと雨は上がっていたのでしょう。東京五輪の開会式は今日行われる。歴史的瞬間に立ち会えるという興奮が身を襲ってきました。式典課は国立競技場に朝6時の集合です。かくして私は歴史的瞬間をほぼ「二日酔い」で迎えることになりました。

――半世紀前の“その日”を振り返るのは、小誌で「オリンピック・トリビア!」を連載中の吹浦忠正氏である。長らく難民問題に携わり、また、国旗と儀典の専門家として、数多くの書物を著している吹浦氏は、52年前の東京五輪に組織委員会の専門職員として携わった経験を持つ。当時23歳。最年少の職員だった。

 私が組織委に加わったのは、東京五輪の2年前、1962年秋のことです。まだ早稲田大学政経学部の学生でしたが、国旗の研究に没頭し、本を2冊出していました。五輪では、開閉会式、表彰式はじめ、毎日国旗が掲揚されます。しかし、当時は日本に専門家はおらず、私が呼ばれたのです。

 面接試験では、事務総長に「英国旗の付いている国旗を持つ国や地域の名を挙げよ」と問われ、「バルバドス、バミューダ、ローデシア、近場では香港、あとはカナダ、オーストラリア……」などと挙げていったところ、「もう結構、キミは本物だ」とそれだけで採用。国旗に関わる一切を担当することになりました。動かした予算は当時で1億2000万円。よくぞ20歳そこそこの若者にあんな大事を託したと、諸先輩の勇断に改めて敬意と謝意を表明しなくてはなりません。

――老害と官僚主義が目立つ現在と比べ、当時の組織委が如何に若さとチャレンジ精神に充ち溢れていたか。その吹浦氏の初仕事は、意外な“場所”から始まった。

 最初の仕事は、各国旗のデザインの確定です。東京五輪に参加予定だったのは、108カ国。細部に至るまで、各国の国旗の正しい形、色、図柄は何か、を追求しました。五輪憲章では各国旗を同じサイズにせよと規定されているので、縦横の比を統一しなければなりません。しかし、「星条旗」は10:19、「ユニオン・ジャック」やソ連の国旗は1:2といった調子でバラバラ。それをデフォルメして2:3とし、案を策定しました。

 そのために国内外の専門書を16冊も集めました。当時、式典課は、現在の迎賓館赤坂離宮の中、羽衣の間に置かれていましたが、洋間ですから、床で大判の専門書を開くことはできません。そこで私は、6畳と8畳の和室がある巣鴨の「逆さクラゲ」、今で言うラブホテルに5日間泊まりこみ、本を広げて職員と旗屋さんとで議論したのです。行き詰まると、気分転換のために、隣にいらっしゃった“お客さん”にお茶を出しに行ったりしたものでした。

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