「田中角栄」生誕100年 機密文書が明かす「エスタブリッシュメントvs.成り上がり」の死闘

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田中角栄生誕100年 「エスタブリッシュメントvs.成り上がり」の死闘――徳本栄一郎(1/2)

 今年、生誕100年を迎えた田中角栄の立身出世物語は、今も人気が高い。しかし、米国と英国の機密解除された文書を繙(ひもと)くと、視点の異なる評価が残されていた。日本のエスタブリッシュメントと、“成り上がり”と蔑まれた角栄との確執を冷静に分析しているのだ。

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 その黒ずんだ墓石は背後の木々に溶け込んでひっそりと佇んでいた。新潟県柏崎市の西山町は冬になれば数メートルの雪に埋もれる豪雪地帯である。生家の裏手にある小高い丘で、まるで自分の故郷を見守るように田中角栄は眠っていた。

 ここを訪れたのは7月上旬、月に1度の一般公開日だったが、晴天の空からは強烈な日差しが降り注ぐ。数十段の石段を登りきると田中家の墓地で、額の汗を拭おうともしないで手を合わせる人々が目に入ってきた。その多くが年配の女性で、中には娘に手を引かれて杖を握ったまま、じっと墓石に見入る老人もいる。

 死後25年を経ても思慕の念を集めているのが分かるが、同時に田中ほど毀誉褒貶(きよほうへん)の激しかった政治家も珍しい。

 雪深い新潟の田舎から上京した小学校卒の男が、艱難辛苦の末に内閣総理大臣の地位まで上り詰めた。底知れぬエネルギーで「今太閤」と称賛されるが「金権政治の権化」の烙印を押され、戦後最大の疑獄・ロッキード事件で転落していく。生前は政治腐敗を体現したと批判されながら、今では角栄礼賛ブームと言える現象も起きている。

 これまで私は英国や米国の公文書館で日本の戦後史を巡る機密解除文書を集めてきたが、そこには大量の田中に関するファイルも含まれた。ホワイトハウスや国務省、CIA(米中央情報局)、NSC(米国家安全保障会議)などが作成したもので、これらを基にしてロッキード事件を軸に彼の栄光と転落を描いたのが、拙著『田中角栄の悲劇』(光文社)である。

 そして、そこから浮かび上がったのは新潟の極貧農家に生まれた田中と、戦後の日本に君臨した“保守本流エスタブリッシュメント”との、宿命的とも言える確執だった。

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