昔話ばっかりの「朝生」、老いとは何か(古市憲寿)

国内 社会 週刊新潮 2018年12月27日号掲載

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 乃木坂46の高山一実さんが書いた小説『トラペジウム』を読んだ。アイドルを目指す地方の高校生を描いた物語なのだが、とても印象深い台詞があった。

「私たちってさ、未来のことばっかり話してるよね」。高校の同級生と交わす他愛のない言葉なのだが、この一言には「若さ」や「青春」の本質が濃縮されているように思った。

 確かに、青春のただ中にいる人は、あまり過去の話をしない。生きてきた長さが短く、達成したものも少ないので、必然的に未来の話をせざるを得ないのだ。

 社会学者の小熊英二さんと対談した時に、こんなことを言われた。

「未来で評価される人が若者、現在で評価される人が大人、過去で評価される人が老人です」。まさに『トラペジウム』の登場人物は「若者」であり、「未来」を生きているのだろう。

 翻って、「老い」とは昔話ばかりをすることなのだと思う。「朝まで生テレビ!」に出演した時にびっくりしたのだが、昔話の比率がとんでもなく大きいのである。あの条約が結ばれたのにはこんな裏事情があったとか、あの首相はこんなことを言っていたとか、NHKがVTRにまとめれば5分で済む話が、何十分もかけて語られる。そりゃ、議論の時間が朝まであっても足りないはずだと気付かされた。

 YouTubeなどで確認する限り、昔の朝生は違ったようだ。オウム真理教幹部をスタジオに呼んだり、タブーなしのとがった企画が散見される。しかし出演者と視聴者の高齢化が進み、知識量と経験量のある論客が主導権を握るような展開が増えていったのだろう。

 もちろん、昔話は悪いことばかりではない。歴史は繰り返すとの言葉通り、さも新しいことのように語られる未来予測が、実は数十年前の議論の焼き直しということは少なくない。AIが人間に置き換わるといった議論は、「人間機械論」をはじめ、100年以上前から繰り返されてきた話ばかりだ。

 だから、昔話は、未来を考える補助線として有用なことも多い。しかし多くの場合、昔話はただの昔話として消費される。

 アンチエイジング(「老い」に抗う)といえば、スキンケアばかりが注目されがちだ。しかしもっと心のアンチエイジングが重要視されてもいいのではないか。

 イギリスのエリザベス女王が、オバマ前米大統領のミシェル夫人に「王室のしきたりなんて全てくだらない」と言い放ったことがあるという。90代とは思えない前衛的な発言だ。70代のヴィヴィアン・ウエストウッドもシェールガス開発に抗議するため、選挙区に戦車で現れたことがあった。

 実年齢と、その人が精神的に老いているかは、全くの別問題だ(そういえば我が国でも、未来のことを聞かれて、意味深に「ジーヴス」という名前を出された方がいた。パンクだ)。

 僕もこの連載で不安なのは、昔と同じ話を書いていないかということ。まあでも読む方も覚えていないからいいのか。共に老いていくという朝生スタイルだ。

古市憲寿(ふるいち・のりとし)
1985(昭和60)年東京都生まれ。社会学者。慶應義塾大学SFC研究所上席所員。日本学術振興会「育志賞」受賞。若者の生態を的確に描出し、クールに擁護した『絶望の国の幸福な若者たち』で注目される。著書に『だから日本はズレている』『保育園義務教育化』など。