5年25億円契約「丸佳浩」に“2つの不安”、かつて巨人にFA移籍した広澤克実氏が指摘

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実は練習環境が悪い巨人

 94年、長嶋茂雄監督が率いる巨人は、同率最終戦を中日と戦う。いわゆる「10・8決戦」を制してセ・リーグ優勝。森祇晶監督(81)の西武と日本シリーズを戦い、長嶋氏は監督として自身初の日本一に輝く。

 そして95年シーズンに長嶋監督は、ヤクルトからFAで広沢氏と自由契約となったジャック・ハウエル(57)、ミネソタ・ツインズから2年8億円でシェーン・マック(55)、そして、広島からFAで前記の川口和久氏も獲得。マスコミは「30億円の大補強」と書き立てた。

 ところが、こんなドリームチームが全く強くなかったのだから、本当に野球は分からない。

 巨人は開幕から躓いてしまう。日刊スポーツが95年4月19日に掲載した「連載 We Love BaseBall 巨人つまずきの裏側(1)」をご覧いただきたい。書き出しで、当時の厳しい状況を思い出されたG党もおられるだろう。

〈30億円の大補強を行った長嶋巨人が開幕でつまずいた。2年契約8億円のマック、FAでの広沢、ハウエルも獲得してセ界NO・1の超重量打線を組んだが、開幕からの3カードをいずれも負け越し3勝6敗〉

〈3番の松井から落合、広沢、ハウエル、マック、原と続くド迫力のオーダー。4番打者がズラリと並んでいるのだから、勝手に打っていれば点が入るというものではない〉

〈開幕から打線のバラつきばかりが目立ち、大味な攻撃野球しかできない。打線はよく水物といわれる。打っても3割。それが3番松井から7番原まで4番のバッティングをしたのでは、打線はつながらず得点の確率は激減してしまうのは当然だ〉

〈ヤクルトで4番を打っていた広沢は開幕戦で6番を打って、「正直言って6番はどういう打撃をすればいいのか、迷っている」と苦悩する現状を吐露している。それは5番から7番、1番と転々としたマックにもいえることだろう〉

 この年、広澤氏は好調なスタートを切ったはずだった。また、表にある通り、決して前年のヤクルト時代と比較して、著しく個人成績が落ちたわけではなかった。

 だが、マスコミは「30億円打線は大失敗」と書き立てる。これまで広澤氏は、新聞やテレビのスポーツニュースに、普通の態度で接していた。ところが次第に、熱心に報道をチェックするようになってしまった。

「プレッシャーとは結局、自分で作ってしまうんです。FAで騒がれ、『カネ目当ての移籍』と叩かれる。そうすると、『成績で批判を払拭させねば』と追い詰めてしまう。肩に力が入り、自分を見失ってしまいました。そうすると報道が気になってしまう。自分への批判が書かれていると迷いが生じ、悪循環に陥っていくのです」

 巨人1年目の広澤氏は33歳。プロ野球選手としてはベテランの域に達しつつあり、大人として行動することができる。

 だが、会社員の世界なら、まだ管理職でなくとも不思議はなく、社会的には幼さが残る年齢だ。

「私は現在、56歳です。この年なら、同じ状況におかれても、『マスコミは書くのが仕事。好きにやらせておけばいい』と冷静でいられます。でも33歳の私には無理でした。批判記事に過剰反応してしまう。ただでさえ巨人の1年目で肩に力が入っていたのに、さらに力んでしまったわけです」

 どんな批判記事があったのだろうか、例えば同じ日刊スポーツは5月22日、「中日-巨人(7)<西本聖> 巨人3連勝も広沢不振では…」を載せている。

 そこでは野球評論家の西本聖氏(62)が広澤氏に苦言を呈した。

〈マックのサヨナラ本塁打で勝つには勝ったが、僕には何かひっかかるものが残った。魚の小骨じゃないが、それは5番広沢の不振にある。前日20日の試合ではチャンスに代打を送られた。さぞかし悔しい思いをしたことだろう。それだけに、この日の広沢の打席に注目したのだが、残念ながら結果も出なかったし、内容も悪かった〉

 こんな内容の記事を書かれ、広澤氏はチームの低迷と共に調子を落としていく。結局この年は、広澤氏の古巣ヤクルトがセ・リーグを制した。2位の広島に次ぎ、巨人は3位に終わった。ちなみに日本シリーズは、ヤクルトがオリックスを破り日本一に輝いた。

 巨人というチームが選手に与えるプレッシャーは生半可なものではないことが、非常によく分かる。広澤氏は「それこそが常勝を使命とするチームの重圧です」と振り返る。

「ヤクルトは92年にセ・リーグで優勝し、翌93年に日本一となりました。すると当然ながら年俸が高騰します。そうすると、どこからともなく『来年は優勝しなくてもいいですよ』というフロントの雰囲気が伝わってくるんです。ところが巨人のフロントは『毎年優勝してもらっても全く構いません』という態度です。プロ野球で最高のチームであろうとする意識が、非常に高いんですね」

 そして2000年、広澤氏は阪神で再び野村克也監督(83)のもとでプレーすることになる。成績は表の通りだ。巨人の最終年と比較すれば、充分に復活を成し遂げたと言える。

「阪神もマスコミやファンのチェックが厳しい球団です。巨人と同じ厳しさはありますが、やっぱり阪神ファンは優しいんですね。巨人ファンに批判されると、ずっと批判の対象になることが珍しくありません。ところが阪神ファンは、昨日ぼろかすに怒っていても、今日になると全てを忘れて応援してくれるんです(笑)。あれはありがたかったですね」

 01年のシーズンオフに星野仙一氏(1947~2018)が阪神の監督に就任。03年にセ・リーグを制し、福岡ダイエーホークス(現・ソフトバンク)との日本シリーズに挑む。

 そして広澤氏は、シリーズ第7戦でホームランを放ち、日本シリーズ歴代最年長(当時41歳6ヶ月)の本塁打を記録。シリーズは敗れるが、これを花道として引退する。

 波瀾万丈の野球人生を送った広澤氏だが、丸に助言を送るとしたら、どういう内容になるか訊いた。

「少なくとも私が所属していた頃、巨人は練習しないチームでした。ドーム球場なので雨天練習場がなく、天才肌の選手も少なくなかったからです。私が調子を崩すと、練習に没頭できる環境がなく、苦労しました」

 言うまでもなく、広島はセ・パ12球団でもトップクラスの練習量を誇る。

「練習の環境が、実は恵まれていないのです。東京ドームはナイターが終われば閉鎖されます。それから(ナーター後)多摩のグラウンドに行くのは遅すぎます。巨人の若手が伸び悩んでいる原因の1つでしょう。丸選手は試合前、試合後の練習がルーティンになっているはずです。この間、西武の山川穂高選手(27)も試合後、マシンで打ち込む姿をテレビで見ました。ああいう練習ができないことが、丸選手に悪影響を与える可能性があります」

 広澤氏は「もう自腹を切ってでも、プライベートな練習場所と、専属のトレーナーは雇うべきでしょう」と助言する。とにもかくにも、広島とは全く違う環境が、丸を待ち構えている。

週刊新潮WEB取材班

2018年12月24日掲載

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