日本はいつから“植民地”にされた!? 「カルロス・ゴーン」逮捕に見るフランスの“上から目線”気質

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 今回の逮捕劇は、カルロス・ゴーン前会長(64)が、日産自動車内でいかに独裁者として君臨していたかをも浮き彫りにした。今年で創立85年を迎えた日産は、代々創業一族がトップに就く同族企業というわけではない。が、今回捕まった彼と同じように権力を振りかざした者が、過去の日産の歴史上に存在していた。

 経済ジャーナリストの話。

「日産には、古くは1957年から16年間に亘って川又克二社長が居座っていました。社長退任後も会長、相談役を務めたほか、経団連、日経連の副会長にも就いていたのです」

 その川又氏とタッグを組み、1960年代から20年以上に亘って日産を支配し、“影の天皇”とまで言われたのが、日産の労組と日産グループ労組の連合体である自動車労連の塩路一郎会長だ。

「日産は激しい労働争議を続けてきた過去があったため、当時、過度の労使協調になっていました。それを武器に川又氏と蜜月関係になると、事実上、日産を牛耳ったのです」

 一時は重役の半分近くを労組経験者で固め、人事権も掌握していたという。

「年収は2千万円近くで、7LDKの豪邸住まい。プレジデントとフェアレディZを乗り回し、銀座で豪遊していました。さらに、若い女性と4千万円もする高級ヨットでクルージングし、やりたい放題の労働貴族だったのです」(同)

 まるで今回、明らかとなったゴーンの姿を鏡に映したかのようである。そんな状態を疎ましくとらえたのが川又氏の2代後に社長となった石原俊氏。彼もまた、経済同友会トップを6年も務め、財界にも君臨した。経済部記者の話。

「海外進出を進める石原社長と現状維持を求める塩路さんは、激しく対立しました。最終的に、塩路さんを放逐することに成功した石原社長は、国際化に大きく舵を切った。ところが、海外投資が、ことごとく大失敗となったのです」

 この時の赤字が後々へのツケとなり、延(ひ)いては大借金の挙句、ルノーからゴーンを招くことに繋がったとされている。つまり、今回の事件は、歴代の独裁者が招いた負の連鎖でもあるのだ。

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