アフター「M-1」上沼恵美子への暴言で大炎上! 「余計な一言」を防ぐための心得とは

エンタメ2018年12月6日掲載

  • 共有
  • ブックマーク

「クソが」「おばはん」

 漫才日本一を決める「M-1グランプリ 2018」終了後、新チャンピオンとなった「霜降り明星」と同じくらいに話題になったのが、前チャンピオン「とろサーモン」の久保田かずのぶと、今大会決勝で敗れた「スーパーマラドーナ」の武智だ。2人は大会後、ネット配信された番組で、審査員の一人である上沼恵美子に対して「クソが」「おばはん」「嫌い」等々コメント。いくらなんでも言い過ぎだということで批判が集中し、2人はツイッターで謝罪する事態に追い込まれたのだ。

 たしかに審査員に対して不満を抱くことはあるだろう。上沼の審査ぶりには賛否があったのも事実である。さらに少々アルコールも入っていたようだ。それでも言い過ぎだ、というのが世間の受け止め方だったようだ。

 この絵に描いたような舌禍事件からどんな教訓が得られるのか。齋藤孝・明治大学文学部教授の著書『余計な一言』には、日本語の専門家としての見地から、こういう過ちを防ぐための心得が書かれている。(以下、引用は同書より)

毒舌は危険

 まず齋藤教授は下手な毒舌は危険だ、と指摘する。

「『毒舌』というのは、きちんと常識を踏まえ、あるいは場の空気が読めて、トークも上手であり、笑いを起こさせるプロの芸人だからこそつかえる技術です」

 その「プロ」の代表例として齋藤教授は、ビートたけし、松本人志、有吉弘行を挙げている。その彼らとて一朝一夕にそういう技術を身につけたわけではない。

「痛い思いを、トップの芸人であるたけしさんや松本さんや有吉さんは、みんなたくさん経験してきたからこそ、現在があります。その痛みから学び、上達してきているわけで、毒舌は完全にプロの技術なのです」

 2人ともプロの芸人ではあるものの、毒舌のプロではなかった、ということかもしれない。

本音には要注意

 さらに、齋藤教授が強調するのは「本音は必ずしも必要ではない」というポイントだ。彼らに限らず、ついつい本音を口にして炎上する人は珍しくない。特に政治家はつい本音を漏らして問題化することが多い。

「おそらくこういう人は、『本当に思っていることを黙っているのは、何だか不誠実な気がする。この本音を隠しもつのはいけないのではないか』と思って、溜めこんでいたものを吐き出すように、本音を漏らしてしまうのでしょう。『王様の耳はロバの耳』という寓話(ぐうわ)と同じことです」

 そういう人に、齋藤教授はこうアドバイスする。

「本音を言うことにはさしたる意味がない、という認識も必要です。本音を言わないと気分が悪い、不誠実な気がすると考える人は、その本音イコール自分であると思ってしまっています。しかし、その『本音』だと思っていることだって、永久不変とは限りません。いま『本音』だと思っているものも、新しい情報が一つ加わるだけで、ガラッと変わってしまうかもしれません。(略)

 ほとんどのことは『本音』ではなくて、あくまでもその人の『現在の認識』もしくは『一つの認識』に過ぎないと思ったほうがよい。それは刻々変化するものなのです」

言葉の菓子折りを

 どんなに気をつけていても、ついつい「余計な一言」を言ってしまうことはあるだろう。そんな時に備えて、現代人はリカバリーの技術を身につけたほうがよい、と齋藤教授は言う。そのためには「言葉の菓子折りを持つ」ことを意識することを勧めている。

「言葉の選び方を間違えてしまうことは誰でもやる可能性のあるミスです。思いがけずにキツい言葉を選んでしまう、無神経な単語をつかってしまう、といった失敗をしたことがない人はいません。そんなときは、素直に訂正して、悪意はなく、本意ではなかったことを早く伝えることが大切です。

 単に訂正するのではなく、相手を褒めるのもいいでしょう。ただし、すぐに褒めるとあまりにお世辞めくのであれば、別のポジティブな話題を見つけて、会話を盛りあげるようにする。褒めるにしても、具体的なポイントを見つけて、『褒めコメント』を会話の中に入れていくようにする。そういうものは少々わざとらしくても、効果が出るものです。

『褒めコメント』というのは、いわば、言葉の贈答品、菓子折りのようなものです。さほど美味しいお菓子ではなくても、贈答品をもらって気を悪くする人は滅多にいません。お詫びの際でも、贈答品を渡したために、機嫌を損ねることはないのです」

 いまのところ、2人はツイッター上で関係者に謝罪コメントを発表している。大先輩に菓子折りを届けることはできるだろうか。

デイリー新潮編集部