小島瑠璃子の同性受けを決する「デキるタレント」と「デキる女性タレント」の境界線

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 あざとい。いい子ぶっている。嘘くさい。偉そう。大げさ…。小島瑠璃子のインターネットでのイメージを集めれば、50音カルタができそうである。ただし、ほとんどネガティブな形容詞だが。

 女から嫌われる女、こじるり。「ザ・細かすぎて伝わらないモノマネ」で披露されたキンタロー。による「たぶん嘘をついている時は目を見開く小島瑠璃子」というモノマネが話題になり、再び女性から嫌われる女性として脚光を浴びている。

 本人は決してやっていないが、やりそうなことをモノマネにするという芸はよくある。例えばビートたけしのモノマネをしていた松村邦洋によれば、「ダンカン、バカヤロー!」とはたけし本人は言ったことがないらしい。しかし視聴者のイメージが具体化されたモノマネ芸であれば、本人がやってなかろうと説得力を持つものである。その意味で、キンタロー。の着眼点は相当、世間のこじるりイメージとシンクロしていたのではないだろうか。こじるりが見せる機転や場の回し方、盛り上げるリアクション力は折り紙つきである。しかし画面から伝わるのは、彼女の器用さだけでない。「わかっている私・できる私」への自負がにじみ出ることもある。そんなある種の小賢しさを、キンタロー。は見事に表したと言えるだろう。
 
 けれども、ここでも黙っていないのがこじるりである。自身のTwitterで、似てる!とまずは相手を持ち上げつつ、でも風評被害だ!と自分の無実を訴えながら嫌悪感を表す。そして、そもそも事前に聞いていたモノマネと違うじゃないか、と、内輪話を暴露してまで、キンタロー。に非があると牽制する。予防線を張りながら、二重三重の計算がつまったつぶやきを即座に発信したソツのなさ。いやーまいったまいった、こういうところがさすがこじるり、と笑ってしまった。これも目を見開きながら打ったのか?と多くの人が突っ込んだに違いない。
 
 かわいくて、話も上手で、若くて元気。タレントとして申し分のないスペックを持ちながらも、うまくやればやるほど深読みされてしまうこじるり。過去のバラエティ番組では、男性へのボディタッチなど、思わせぶりな態度が多いことについて取り上げられていた。そういう点もまた、同性の嫌悪感を刺激しているのだろう。

「デキるタレント」と「デキる女性タレント」の境界線

 こじるりを表す50音で、「おっさん転がし」というのもあるだろう。番組で司会を務める年長男性や、共演する年上の男性芸能人たちに見せる、賢さと幼さの適度なバランス。最も都合の良いリアクションを察知してふるまう嗅覚。女子アナのような知性を求められる出自でもなく、グラビアアイドルなのにそこまでできるというギャップも、業界の男性たちから重宝がられる理由だろう。
 
 だからこじるりの課題は、「デキるタレント」ではなく、「デキる女性タレント」であることなのだと思う。彼女が賢く器用で、「デキる」のは確かだ。しかしそれは、女性性があってこその評価だということに、いびつさを感じさせてしまう。おじさんたちに都合の悪いことは、見ざる・言わざる・聞かざる。彼女を「デキる子」と評する男性陣は、そういう都合の良さ込みでの「かわいげ」を評価している部分も大きいのではないだろうかと思わせる。
 
 こじるり本人は「デキる私」を鼻にかけているように見えるが、男性目線で「デキる」と言われているだけ。それを本人がわかっていなかったとしたら恥知らずだし、わかってやっているならいよいよ計算高い。妬みひがみも含めてだが、そういうモヤモヤを感じさせるところが、彼女の頑張りと人気が比例しない理由なのだろうと勝手に推測する。
 
 どんなに人気がある女性タレントでも、番組のメイン司会や進行役を単独で背負うことはまだまだ少ない。こじるりのように、おっさんと上手いことやれる女性ばかりが重んじられるのも苦々しいが、結果を出しているのに必要以上に控えめにふるまい続ける女性が良しとされるのも違うだろう。過去にはデヴィ夫人を怒らせた歴史も持つこじるりだが、女性にとっても嫌みのないアシストができるようになった時、彼女の「デキるタレント」評は不動のものになるだろう。目を見開き続けているかもしれないが。

(冨士海ネコ)

2018年12月6日掲載

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