「嫌な人」はサンプルと思え——人のサンドウィッチを食べる某議員(古市憲寿)

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 たまに講演会をするのだが、来場者からの質問で多いのが「嫌な人との付き合い方」。職場や地域などで、嫌な人と会わないといけない。そんな時にどうすればいいのか、というのだ。

 本当のことをいえば、「嫌な人」とは「会わない」のが一番だと思う。人間というのは中々変わるものではない。現時点で「嫌」と思う人のことを、1年後に好きになっている確率は、それほど高くない。それは逆もしかり。「嫌な人」がある日、自分にとって素敵な人物に変身しているなんてことは、まずあり得ない。

 中学校の時の担任が、座右の銘のように「他人は変えられない。自分は変えられる」みたいなことを言っていた。嘘だと思う。なぜなら、「自分」が移動してしまえば「他人」なんていくらでも変えることができるから。

 特に大人ならば、引っ越しや転職など、「他人」を変える方法は無数にある。世界には70億人、日本だけでも1億人以上が住んでいる。「自分」を変えずに済む居心地のいい「他人」なんて、たくさんいるはずなのだ。

 しかし、その選択肢をとれない人も多いだろう。「この年になってわざわざ引っ越しなんて無理」だとか「転職するほど大事ではない」とか。確かに「嫌な人」のために引っ越しまでするのは癪だし、本末転倒という気もする。

 その場合は、「嫌な人」をサンプルと思えばいい。僕は、世の中のほぼ全ての人を「サンプル」だと考えている。要は調査対象ということだ。

 普通には付き合いたくない「嫌な人」も、「サンプル」だと考えれば俄然興味深く見えてくる。

 たとえば、ある政治家は討論番組の控え室で、猛烈な勢いで自分のサンドウィッチを食べていた。「食べるのが速い人なんだな」くらいに思っていたら、自分の皿を食べ尽くすと、何も言わずに僕の前に置かれていたサンドウィッチまで食べ始めたのである。そして、そのテーブルに載っていた複数人向けのサンドウィッチを、次々と完食していった。

 僕は、このサンドウィッチ議員と友だちにはなりたくない。しかし「サンプル」としては、こんな注目すべき人もいない。だから同じ場に居合わせても、全く嫌な気分はしない。むしろ次はどんなことをしてくれるのだろうと楽しみになる。

 日常生活でも同じだと思う。何につけても、研究者マインドを持つことは、毎日の生活を楽にしてくれる。仮に日本に財政危機が訪れて、人々の生活が荒廃しても、研究者は嬉々としてその様子を調査するだろう。要はどんな状況に陥っても、対象を客観視してしまえば、それほど自分が傷つくことはないはずなのだ。

「嫌な人」との付き合い方を真剣に考える人は、きっと優しすぎるのだと思う。「嫌な人」と自分は、あくまでも調査者とサンプルの関係と割り切ってしまえばいい。対等の関係だと思わなければ嫌だとも感じない。

 文字数があまったので書いておくと、先ほどの議員とは、ここ最近、口利き疑惑で話題のあの人である。

古市憲寿(ふるいち・のりとし)
1985(昭和60)年東京都生まれ。社会学者。慶應義塾大学SFC研究所上席所員。日本学術振興会「育志賞」受賞。若者の生態を的確に描出し、クールに擁護した『絶望の国の幸福な若者たち』で注目される。著書に『だから日本はズレている』『保育園義務教育化』など。

週刊新潮 2018年12月6日号掲載

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