シャブ山シャブ子から「薬物依存」の怖さを考える

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 11月7日放送の「相棒」に登場した“シャブ山シャブ子”というキャラクターが物議を醸している。

 43歳の主婦で薬物依存症の“シャブ山シャブ子”が、公園で刑事を撲殺。殺害後は奇声を発しながらその場をうろつき、取調室では「シャブ山シャブ子です! 17歳です!」と狂ったようなテンションで受け答えをする――。

 髪はボサボサ、目の焦点は定まらず、高笑いや奇声を繰り返す異様な姿はまるで「ゾンビ」のようで視聴者に強烈な印象を与えた。

 その演技にSNSなどでは称賛の声が集まる一方で、医師などの専門家からは実際の薬物依存症者とは異なるとの異論も出ている。

「シャブ山シャブ子」の描写にはドラマ特有の誇張があったことはたしかだが、覚醒剤に中毒性と副作用があることは、一般的にもよく知られていることだろう。では実際、覚醒剤を使用すると精神と行動にどのような影響をあたえるのか、ノンフィクション作家の溝口敦氏は著書『薬物とセックス』の中で、以下のように詳述している。(以下、同書より抜粋)

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幻覚妄想状態と躁鬱状態

 覚醒剤の慢性中毒症状としては幻覚、妄想などの知覚・思考障害、感情障害、精神運動興奮などの意識・行為障害など多くの精神病像を示すが、これらは幻覚妄想状態と躁鬱状態に二大別される。

 幻覚妄想状態とは、妄想気分、被害妄想、作為体験、対話形式の幻聴など、妄想型統合失調症に近い状態を示す。人格面では過敏や不安となり、怒りっぽく、些細なことで激怒する。さらにこれが発展すると「誰かに狙われている」「警察などが監視している」といったような被害、被毒、注察、嫉妬、妄想などが出現する。これら症状は次のように細分化されている。

・関係妄想――他人が自分のことを噂している。また聞こえる談笑の声が自分を話題にし、あざ笑っているように聞こえる。この関連で「電波受信妄想」もある。どこかの機関や人員が電波を発信し、自分はそれを受信でき、自分を話題にしていることが幻聴で分かる。

・被害妄想――自分は前方から歩いてくる男に殺されそうだと考える。

・追跡妄想――逃げても逃げても、誰かが自分を追いかけてくると感じる。

・注察妄想――つねに隣室や天井から覗かれ、監視されていると考える。

・嫉妬妄想――自分の妻や愛人が誰かと浮気しているのではないかと嫉妬する。

 躁鬱状態とは、感情面で抑鬱的、あるいは躁的といえる状態と、被害関係妄想を併せ持つ状態である。つまり統合失調症的状態と躁鬱病的状態を併せ持つような精神病状態を呈する(井上堯子、田中謙 『改訂版 覚せい剤Q&A――捜査官のための化学ガイド』)。

 こうした状態に陥れば当然、理性的な判断などできるわけがない。対人関係がぎくしゃくし、次の「覚醒剤関連社会的障害」が生じる。どういうものか、列記すると――、

A・犯罪
(1)覚醒剤を入手するために恐喝事件や窃盗事件を起こす。

(2)自己使用分を浮かすため密売や新しい乱用者を獲得しようとするなど、次なる犯罪(者)を生む。

(3)覚醒剤精神疾患に関連した粗暴犯、特に覚醒剤精神病に基づく兇悪な犯罪を手掛ける。

(4)その他

B・家族問題
(1)暴力、別居、離婚などの重大な家庭問題を招く。

(2)子供の学校問題や非行問題を誘発する。

(3)その他

C・職業問題および経済問題
(1)怠業、失業など職業生活が破綻する。

(2)金銭問題を頻発させ、経済生活が破綻する。

(3)その他

D・社会的地位の低下
(1)喧嘩など対人的不適応行動を頻発する。友人や近親者などが自分から離反していく。

(2)覚醒剤の注射仲間が形成される。

(3)その他

E・その他

 覚醒剤を買い、消費すること自体が組織暴力団へ資金を提供することになる。それにより社会の健全性を阻害する(昭和63年厚生省薬務局麻薬課依存性薬物研究班『覚醒剤』による)。

 また覚醒剤にはフラッシュバックと呼ばれる再燃症状が認められる場合がある。再燃症状とは薬物をやめ、身体が正常に戻った後にも薬物を使用していたときと同じような不安な気分が起こること。これを誘発する条件としては驚愕や心痛などがあり、また疲労、不眠、飲酒による酩酊時などに起こりやすいとされる。

「自分の勝手」では済まない

 覚醒剤を使用することによるマイナスはおおよそ以上でカバーされよう。乱用者は程度の軽い、低いはあっても、将来にわたってこうしたマイナス要因を背負い続けなければならない。

 総務庁が1998年に発表した「薬物乱用問題に関するアンケート調査」では、男子高校生の27%が「薬物を使用することについて、どう思いますか」という質問に、「個人の自由だ」と回答している。

 彼らの多くは「他人を傷つけたわけじゃないし、自分で覚醒剤を買って自分で使うのに、ぼくの身体がどうなっても、そんなの、ぼくの勝手じゃないですか」と弁護人に食ってかかるという(小森榮『ドラッグ社会への挑戦』)。

 しかし薬物の依存症は、自分が起こした出来事の始末を全部自分でつけられるほど、甘くはない。友人関係や勤務先での交際は破綻するし、親兄弟や妻子まで事件に巻き込み、甚大な被害を与えずにはおかないのだ。

 どうしても覚醒剤をやめられず、刑務所とシャバ、あるいは治療施設への往復で人生を終える人、友人や知人、親戚などが全て離れ、最後は刑務所で獄死する者、高齢でよれよれになっても買い手がいるかぎり、売春でその日の糧とシャブを入手し、最後は孤独死する人。職を失い、生活保護でかつかつ命をつなぐ人、それさえも許されず天涯孤独のホームレスになる人――悲惨すぎる終末は容易に想像できる。

 このことは覚醒剤の密売所を営む者、つまりは加害者側も堂々認めることだ。

〈シャブの密売所をしていて、常連さんが顔を見せなくなったときは、死んでいるか、捕まって檻の中に入っているかのどちらかである。シャブを常習的に射っている者が、スッパリシャブから足を洗うことは、まず考えられない。

 それほど、やめられないものなのだ。逮捕されて檻の中に入るか、病院に入りシャブを射ちたくとも射てない場所に拘束されて、身体からシャブが抜けたら、それを転機にシャブから足を洗うことは可能である。あるいはシャブを射ちたくとも永久に射てない。それは“死”以外にはない〉(木佐貫亜城『実録シャブ屋II』)

 華やかな有名スポーツ選手や芸能人であっても薬物の依存症が抜けなければ、同じ運命をたどる。メディアへの登場を許されず、事実上の失職に追い込まれ、配偶者から離婚を迫られ、子供からも遠ざけられる。すなわち家族を失い、無職となり、孤独死やのたれ死にを宿命づけられる。依存症から完全治癒し、何カ月か、何年か後、現実社会に復帰を許されるのはごく少数である。

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「シャブ山シャブ子」問題に注目が集まったこの機会に、改めて覚醒剤の危険性に目を向けるべきだろう。

デイリー新潮編集部

2018年11月15日掲載

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