ファッション界の巨星「芦田淳さん」逝去 “橋龍”の愛娘も魅了

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 10月20日に肺炎で亡くなったファッションデザイナーの芦田淳さん(享年88)は、社交の人だった。

「人脈はファッション業界に留まらず、スポーツ界や政財界、芸能界から外交の世界まで、とにかく多岐にわたっていました」

 とは、30年来の知人。

「浅丘ルリ子さんや西岡徳馬さんとは、青葉台の自宅地下にある麻雀専用部屋で夜通し打ち続けていましたね。芦田さんの性格がそのまま表れた、攻めの姿勢を崩さない打ち筋でした。気を許せる人には無邪気で子どもっぽい一面も見せる芦田さんに、皆が魅了されていたんです」

 20年ほど前に脳梗塞に見舞われるまで、週末はテニスとゴルフを交互にやっていた。ゴルフに専念することにした際には、本誌(「週刊新潮」)に、

「デザインの過程とゴルフはよく似ている。デザインはまずイメージを大きく飛ばすことが始まりであり、ゴルフもドライバーで思いきり飛ばすことが大事である。が、その後、デザインは具体的なシルエットに向かい、またゴルフはカップに向かって、少しずつ距離を縮めていく」

 と、語っていた。そのデザインについて、芦田さんの病床を見舞ったファッション評論家の堀江瑠璃子氏に聞けば、

「エレガントと着心地の良さ、この二つがキーワードです。流行に乗らずに自らが考える美を60年近く一貫して求めた強さと、類いまれな経営手腕は、唯一無二のものでした」

 芦田さんのデザインには、美智子さまをはじめとするロイヤルファミリーだけでなく、永田町の政治家も惚れ込んでいた。その一人が橋本龍太郎元首相だ。

「橋本さんが3人の娘とジュン アシダに行った時に、娘がいくつか服を買ったら100万円の会計だったみたいで。『政治家から100万取れるのは芦田さんくらいだ』と笑っていました」(永田町関係者)

 ハイソな世界に愛された、ファッション界の巨星墜つ。

週刊新潮 2018年11月1日号掲載

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