原監督就任で過去10年間の巨人“ドラフト1位”指名選手を分析 浮かぶ2つの特徴

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ドラフトを“有名無実化”してきた巨人

 そもそも巨人は、ドラフトを巡る“明暗”が鮮明だ。明を遡れば、80年のドラフト会議で新監督の藤田元司(1931〜2006)が、巨人、広島、大洋、日ハムの4球団重複の中から原辰徳の1位くじを引き当てた。

 92年にも松井秀喜(44)で、巨人、阪神、福岡ダイエー、中日が重複したが、監督だった長嶋茂雄(82)が1位くじを引いて交渉権を獲得した。

 だが、巨人のドラフトと言えば、基本は暗黒史だ。代表は江川卓(63)だろう。78年ドラフトの前日にあたる11月21日、いわゆる「空白の1日」を巨人は利用。西武の持つ77年ドラフトの交渉権が無効になったとし、ドラフト外で入団契約を結ぶ。

 翌日のドラフトでは、この「空白の1日」に基づく入団を無効とする、南海、近鉄、ロッテ、阪神の4球団が江川を1位指名。阪神が交渉権を獲得するが、巨人は「セリーグ脱退」をちらつかせて球界に圧力をかける。

 当時の巨人は圧倒的な人気球団。圧力は強烈なものがあり、最終的には巨人・小林繁(1952〜2010)と阪神・江川のトレードで巨人の入団が確定する。

 さらに85年には「KKドラフト事件」が起きる。PL学園の同級生、桑田真澄(50)は大学進学を公言。清原和博(51)は巨人入りを希望していたが、なんとドラフト会議で巨人は桑田を単独指名。瞳を潤ませる清原の表情は世論の同情を集め、巨人に対する批判が高まった。

 93年からは大学生と社会人の希望入団枠制度がスタートし、ドラフトの有名無実化が進む。この制度で巨人は、仁志敏久(47)、入来祐作(46)、高橋由伸、上原浩治(43)、二岡智宏(42)、阿部慎之助(39)、木佐貫洋(38)、久保裕也(38)、内海哲也(36)という錚々たる選手を獲得する。

 そして巨人は、94年、00年、02年に日本一に輝き、96年もセリーグ優勝を成し遂げた。「常勝巨人」に相応しい成績だろう。だが、もし上記の彼らが“ガチンコ”のドラフトに臨み、12球団でくじ引きが行われていたとしたら、優勝チームの名前は変わったかもしれない。

 ところが04年、「一場事件」が起きる。明治大学野球部に所属していた一場靖弘(36)に対し、巨人が「栄養費」の名目で200万円を授受していたことが発覚。入団は白紙となり、渡邉恒雄オーナー(92)が辞任する騒動となる。

 さらに07年には「西武ライオンズ裏金事件」も発覚し、希望入団枠は「不正の温床になる」との理由から廃止となった。表が対象とした08~17年度のドラフトとは、奇しくも、希望入団枠が消滅してからの10年を振り返ったとも言えるのだ。

 豊富な資金力と人気を背景に、巨人はドラフトの影響を最小限とするチーム編成を目指してきた。希望枠で有望選手を独占、逃した選手も大物になればFAで釣る。

 ところがドラフトの希望枠は消滅し、FAも大リーグ挑戦のための行使が当たり前となった。巨人の“勝利の方程式”は封じられてしまったのだ。しばらくはチーム編成で迷走が続いても仕方ないのかもしれない。

 巨人は打者の高校生選手なら、他球団との競合が予想されても指名することがある。代表例は17年の清宮幸太郎だ。この“傾向”を考えると、日刊スポーツの「吉田輝星ではなく根尾昂」という報道は信憑性が高いことになる。

 だが「社会人か大学生の投手を好む」という傾向を考えれば、本命は「東洋大150キロ右腕トリオ」の1人である東洋大の上茶谷大河(22)や、Hondaの斎藤友貴哉(23)の線も考えられる。

 いずれにしても本稿は、巨人の1位指名を予想するのが目的ではない。プロ野球ファンは巨人のどんな1位指名を求めているか、というのがテーマだ。

 根尾の指名は従来に反して“積極的”なのか、上茶谷や齋藤なら“消極的”なのか、それとも、やはり巨人が吉田輝星を1位指名する場面を見たいのか――あなたはどうお考えだろうか?

週刊新潮WEB取材班

2018年10月24日掲載

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