「山下貴司」法相の“恫喝検事”時代… 久間元防衛相が証言

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息子を盾に

 そもそも、山下法相は、東大法学部在学中に司法試験に合格したエリート。1992年に検事に任官し、法務省刑事局や東京地検特捜部に勤務した。検事総長コースの赤レンガ(法務省)派で、同期の出世頭だったという。しかし、自民党の候補者公募に名乗りを上げ、2012年、政界に転身したのである。

 司法担当記者によれば、

「東京地検特捜部時代、山下さんは、のちに“フロッピー改竄事件”で逮捕される前田恒彦検事とともに、“防衛省汚職事件”を手掛けていました。守屋武昌事務次官と防衛商社、山田洋行の宮崎元伸元専務が贈収賄で逮捕されたのですが、その捜査の過程で、防衛フィクサーと呼ばれていた日米平和・文化交流協会の秋山直紀専務理事の脱税が発覚した。山下さんは、その事件も担当しました」

 当時、山下検事の取り調べは熾烈を極めたという。

 しかも、言葉の「暴力」で激しい恫喝も行われたと明かすのは、秋山氏の盟友、久間章生元防衛相だ。

「秋山さんから、当時、かなりキツイ取り調べを受けたと聞きました。彼の息子は、日本とアメリカを行き来する仕事を始めたばかりでした。検事は“これ以上、否認を続けるなら、息子も呼ばなきゃならなくなる”と迫ったのです」

 実は、秋山氏の会社と息子の会社は取引関係があり、「脱税の共犯に問うぞ!」とプレッシャーをかけられたというわけだ。

「家族を盾に自白を迫るというのは、検事の常套手段なのでしょうね。秋山さんも自分のせいで、息子が仕事をできなくなるのは堪え難いと、検事が作成した供述調書にサインをしてしまった。息子は救われたものの、結局、秋山さんは逮捕。“フロッピー改竄事件”が起きるまでは、検察は相当無茶な捜査をしていたということですよ」(同)

 そこで、山下法相に聞くと、

「検事時代に携わった事件にかかわる事項につきましては、お答えを差し控えさせていただきます」

 元「恫喝検事」が法相に就き、今後、「法の番人」はその役割を適正に果たせるのか。

週刊新潮 2018年10月18日号掲載

特集「地雷だらけの『安倍新内閣』」より

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