“年間401奪三振”から半世紀 江夏豊が明かす「王貞治との対決で金字塔達成」にこだわったワケ

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 50年前、江夏豊氏(70)が到達した年間401奪三振は、日本はおろか、メジャーでも破られていない世界記録だ。前人未到の偉業を成し遂げるあの日、王貞治からどうしても三振を奪いたかった――。今もファンに語り継がれる金字塔達成の裏側を、本人が語った。

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 もう50年も経ちましたけど、今もいい思い出です。先日、王(貞治)さんとお会いしたら、あの時の僕の配球を覚えていました。ずいぶんと昔の話なのに、世界の王さんにそこまでおっしゃっていただけるのはピッチャー冥利に尽きますね。改めて、尊敬すべき先輩だなと思いました。

〈江夏氏はそう目を細めた。大阪学院大高校卒業から阪神タイガースへ入団し、18年に及ぶ現役生活で、206勝、193セーブ。沢村賞、最多勝、セ・パ両リーグでのMVPのほか、数々の記録と伝説を残した。言わずと知れた球史に残る左腕である。

 中でも、野球ファンの間で語り継がれるのは、昭和43年(1968年)9月17日の巨人戦である。巨人V9の4年目。まさに“ON”の全盛期に、江夏氏はそれまで稲尾和久氏(西鉄)が持っていたシーズン奪三振記録(353個)を、当時28歳の王貞治氏から三振を奪い、塗り替えたのである。入団2年目、弱冠20歳での快挙だった。この年、最終的に401奪三振を達成。この記録は、未だにメジャーリーグでも破られていない。〉

 これまでも高校、大学、社会人から何百、何千というピッチャーがプロに入ったと思いますが、カーブも投げられずにプロになったのは僕くらいではないですか。高校時代は甲子園にも出られず、地区予選でやっとベスト4という成績だったので、プロに入れるなんて思っていなかったんですよ。1年目にカーブを教えてもらいましたが、曲がらないので右バッターにはこんこん打たれた。最初の年はたまたま12勝しましたけど、入団当初はとてつもなくコントロールが悪く、がむしゃらにバッターに向かっていく、それだけが取り柄のピッチャーでした。

 そして2年目。阪神のエースだった村山実さんから「オレのライバルは長嶋(茂雄)、豊は王だ」と言われました。村山さんと長嶋さんと言えば、昭和34年の天覧試合を持ち出すまでもなく、2人の対決は一つの華でした。偉大な打者に立ち向かう村山さんを見て、ああいうピッチャーになりたいという憧れがありました。それ以来、王さんを強烈に意識するようになったのです。

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