“年間401奪三振”から半世紀 江夏豊が明かす「王貞治との対決で金字塔達成」にこだわったワケ

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プライドが傷つく

〈奪三振日本記録を達成した昭和43年の巨人戦に話を戻す。初戦で劇的なサヨナラ勝ちをした後、江夏氏は第4戦にも先発し勝利。巨人とゲーム差なしとした。しかし、9月28日からの巨人3連戦で江夏氏は2日連続先発するも、力及ばず、1勝2敗。阪神の逆転優勝は厳しくなった。〉

 相当、疲労が蓄積していましたね。その年は、結局329イニングに登板。当時は今と違って、年間300イニングも投げる時代ですから、優勝争いになれば連投もしました。先の4連戦も含めた9月の巨人戦での連戦連投については、伏線があります。実は、直前の大洋戦に登板した翌日に、当時の藤本定義監督に呼ばれまして、200球くらい投げこめ、と言われました。その時はよく分からなかったのですが、後から聞くと、巨人戦で連投するためのテストをしていたんです。

〈このシーズン、巨人が優勝を決めたのは10月8日。皮肉にも、この日、名古屋で行われた中日戦に先発した江夏氏は、12奪三振の力投でアメリカのサンディー・コーファックス投手(ドジャース)が持っていたメジャー記録(382奪三振)を破り、シーズン終了までに401の三振を奪った。おそらく、今後も破られることのない大記録を、改めて振り返ってもらうと――〉

 三振は、無我夢中でもう取れるだけ取ろうという気持ちでした。当時ある人から、三振というのは少なくとも3球は投げないといけない、でも凡打に打ち取るのであれば、1球で済むかもしれない。何故そんなに三振にこだわるんだ、と言われたことがあります。でも、ほっといてくれ、僕は三振が取りたいんだ、という思いでした。打者は三振だけはしたくない、という強い気持ちで打席に入ってくる。そこで三振を奪えば、最高にプライドが傷つくわけですからね。

 ですが、シーズンが進むにつれ、疲労が溜まってくると、三振が取りづらくなってくる。100イニングで100奪三振は簡単です。だけども、200イニングで200奪三振は難しい。

 この年、僕は年間401奪三振に加えて、25勝を挙げ、最多勝を獲得しました。2年目はいいカーブも投げられるようになっていて、それだけの三振が取れるようになったのだと思います。それでも、MVPは取れなかった。記者が選ぶMVPや新人王は圧倒的に関東の球団が有利。理由は単純で、関西より関東の方が記者が多かったからです。

 実をいうと、記録を打ち立てて、もらったトロフィーなどの記念品は、人にあげていました。ウィニングボールは自分で持っていますけども、どうも、トロフィーを並べていると、過去の栄光をひけらかしているようで嫌なんです。それに、もらった方も、大事にしてくれますよ。

週刊新潮 2018年9月27日号掲載

特集「『江夏豊』特別インタビュー 年間401奪三振から半世紀 『王貞治との対決で金字塔達成』にこだわったワケ」より

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