韓国通の女優「黒田福美」さんが語る、“慰霊碑建設”を妨害した反日団体の正体

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反日団体登場

――魂だけでも故郷に帰そうという彼女の願いは、親族はもちろん、現地でも歓迎された。故郷のある泗川市から碑を建立する土地の提供も取り付け、石碑デザインには、権威ある彫刻家も名乗り出た。だが、「どうして卓庚鉉だけを慰霊するのか」という声に碑文の変更も必要となり、沖縄の平和の礎のような巨大施設の計画まで浮上した。ついには「強制労働・慰安婦に対する謝罪の文面も入れよ」との要求も――。

黒田:もちろん謝罪文などは拒否しました。私は政治家でも何でもないのですから。あの頃、話がどんどんどん大きくなっていきました。最初はこぢんまりした道祖神のような小さな石碑でいいと思っていたのに……、これさえ乗り越えれば、という思いを繰り返しながらやっていましたね。

――夢から17年を経て、除幕式は2008年5月10日に決まった。だが、その前日になって、市から除幕式の白紙撤回が宣告されるのだ。

黒田:当初、一般のみなさんもメディアも好意的でした。自分たちの祖先なんだから、韓国人がやるべきことを日本人のあなたがやってくれてありがとう、という感覚だったんです。それで話が大きくなっていったところもあるんです。ところが、「特攻隊員は日本の戦争に協力した親日派だ」と反日団体の光復会を中心に騒ぎ出したんです。彼らは日本からの朝鮮独立運動に関わったという、国民の1%にも満たない人たちの末裔です。それが分かっていたからこそ、碑文には「特攻隊」の文字も入れていません。でも彼らにはそんなものは関係ない。圧力団体ですからね。彼らから親日派のレッテルが貼られると、それは民族への裏切り者となり、社会から抹殺されますから、みんな黙るしかなくなるんです。また、前日に行動を起こすというのも、よくあること。以前、ソウルのロッテホテルが毎年恒例だった自衛隊創設のレセプションを前日になって拒否にしたこともあったでしょう。事件を大きくして、目立つようにしてから発言をするというのが、彼らのやり口です。一番目立つ時が来るまで、ターゲットを寝かしておくんですよ。

――除幕式当日、石碑は反日団体に取り囲まれ、黒田さんらは「帰れ、帰れ」の怒号の中、メディアにも囲まれる。

黒田:あの時もだまし討ちのようなもので、私たちは当日、行くつもりはありませんでした。そこで除幕式中止の会見を開いていたところに、市の観光課長がやってきて「会場には光復会が来ているけれども、警官隊が道を空けさせるので除幕式は出来る」と発表したので行くことになったんです。考えてみれば、私たちが行かないと、せっかく集まった光復会の人々は“活躍のシーン”が撮れないわけですよ。観光課長は革新派の人でしたしね。反日の前には右も左もまとまるそうです。

日本人化した韓国人

――結局、石碑は市当局により撤去された。なぜ、彼らはそうまでして反日運動を行うのだろうか。

黒田:今回、私は300ページ以上にわたって長々と経緯を書いてきました。本の最後に、産経新聞ソウル駐在客員論説委員の黒田勝弘さん(76)に解説を書いていただいたんです。名字はたまたま同じですが、夫婦でも何でもないですよ。その数ページの解説が素晴らしくて、いったい私の300ページは何だったのかと思うほど……。勝弘さんは、「日韓併合が35年続いて韓国人はほとんど日本人化していた。それが突然、終戦を迎えて慌てて韓国人に戻らなければならなくなった時、日本的な意識を消し去るためには、日本を徹底的に敵視するしかなかった」と――。反日は韓国の国是となり、今も続いているわけです。併合時にまで遡って親日派を裁く、いわゆる反日法(親日反民族行為者財産の国家帰属に関する特別法)だって、施行されたのは2005年のことですから。

――法の不遡及は法治国家の大原則だが、韓国は反日のためこの法律を成立させた。

黒田:「親日人名辞典」まで作られ、当時親日的行為をしたものは反民族行為者として財産が没収されるようになりました。でも、この法のために現代の韓国の礎を作った人までが親日派のレッテルが貼られ、韓国はどうしようもない自己矛盾に陥っているのです。日韓併合時代、韓国は国を失って、紛れもなく日本国でした。日本国民として日本の法律に従っていたわけです。1939年の創氏改名では、韓国人の8割は日本名を持ちましたが、そのことも反民族行為なのでしょうか。今の韓国人が好むと好まざるとにかかわらず、それは歴史上の事実です。認めたくはないでしょうが、韓国の近代化の基礎は、教育、インフラ、産業など、日本の統治時代に築かれたということは、事実として直視しなければなりません。今の時代の常識から、過去を裁くことの無意味さに気づいてもらいたい。それはむしろ、日本時代を知っていた世代の方がご存知です。私の石碑騒動から2年後、朝鮮日報に元日本兵だった禹守龍(ウスヨン)さんという方の投稿が掲載されました。禹さんは“人間地雷”の特攻兵でしたが、終戦によって生き延び、朝鮮戦争に参加したことで功労者となりました。彼は、なぜ卓庚鉉のように死んで売国奴扱いで、自分は功労者なのかと訴え、「どうせ死ぬのなら日本兵よりももっと勇敢に死んで、朝鮮若人の気概を見せてやろうと思っていた。愚かだったかもしれないが、一点の恥じるところもなかった。以上が『反民族行為者』である私の弁明のすべてである」とまで書いています。そして「今になって過去の歴史を審判し断罪しようとするものは、もう少し広い心を持って道理を見極めるべきではないだろうか」と。

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