いつまで「スポーツバカ」がトップをやるのか サラリーマン川淵三郎の体験が教える教訓

スポーツ 2018年8月21日掲載

  • ブックマーク

「○○バカ」がトップでいいのか

 相撲協会や日本ボクシング連盟など、スポーツの競技団体を舞台にした問題が後を絶たない。その原因として多くの場合、トップや幹部らに一般常識が欠如していることが指摘されている。

 ではなぜ常識がないのか。そこで挙げられるのが一般社会人としての経験の有無だ。その競技で実績を上げた人物が団体に入り、そのまま年功序列や内部の力学で昇格していき、幹部やトップになる。するとどうしても、自分達の競技や団体の常識がすべてだと思ってしまうようになる。往々にして「○○バカ」と言われるのはこのタイプだろう。

 Jリーグを発足させ、現在もBリーグをはじめ、様々なスポーツ団体の改革や立て直しに挑み続けている川淵三郎氏については、スーツ姿で目にすることが多いため、選手時代があったことを忘れられがちだ。しかし川淵氏はれっきとしたサッカー元日本代表選手であり、元日本代表監督でもある。

 ただし、いわゆる「○○バカ」にならなかったのは、会社勤めを経験したことが大きいようだ。新著『黙ってられるか』では、いささか型破りな会社員時代のエピソードが披露されている。以下、同書をもとに見てみよう(引用はすべて『黙ってられるか』より)。

生意気な新入社員

 1961年、早稲田大学を卒業した川淵氏は古河電工に入社する。日本代表選手でもあるのでサッカー部での活躍も期待されての採用だったが、川淵氏自身はサッカー専属の採用という意識はまったくなかったという。当時の心境をこう振り返っている。

「古河電工の社員であることのほうが自分にとっては主で、サッカーをやるために会社に入った、というような気持はまったくなかった。

 一流の会社でいい会社員になりたい、同期よりも早く出世したい、昇進していきたいと思いながら働いていた」

 実際に、サッカー選手としての活動は週末と、平日は火曜と木曜の午後だけ、というのが基本的なスケジュールだった。

 最初の配属先は、横浜電線製造所の業務部。ここでスケジュール通りに仕事が進んているか、納期に商品が仕上がるか等を確認する「工程番」を任された。現場や取引先での人とのやり取りは楽しかったという。

 しかし入社2年目、オリンピックが近づいてきたこともあり、異動が命じられる。合宿や遠征で職場を離れることもあるので、工程番は無理だということで、比較的閑職に近い工場の安全係になったのだ。これが川淵氏は不満だったという。

「安全のためのルールを決める仕事なので、工場の中では発言力がある。安全係の言うことは、工場長も聞かなくてはならないのだ。

 しかし、工場の中での影響力はあっても、組織全体でいうと大したことはない(と当時は思っていた)。仕事そのものも面白くない。不満は増すばかりで、それを実際に人事部にぶつけたくらいだ。

 人事課長からは『どんな仕事も大事なんだから』と諭されたが、『そりゃそうですよ。トイレ掃除の仕事だって大事ですよ。でも、だからってそれをやれって言うんですか』なんて言い返す始末。入社2年目なのに本当に生意気だったと思う。その課長のことは今でもよく覚えていて、困った顔が思い出される」

サッカーだけではダメ

 不満を募らせていたところで、ある事件が起きてしまう。川淵氏が担当していた工場に、社長が視察にやってきた。

 この時、社長の案内役の上司から川淵氏は「写真を撮れ」「そこは邪魔だからどけ」などと命じられた。普段は威張る人ではなかったのだが、その時は余裕がなかったのか、「ものすごく偉そうな言い方」だったという。これでプライドが傷つけられ、腹を立てた川淵氏はキレてしまう。

「『こんなところでやってられっか』と、その日のうちに大阪の実家に帰ってしまった。会社には何も言わなかったので、翌日からは無断欠勤ということになる。ここで首になっても、どこか別の会社がサッカーで採ってくれるだろうという気持ちもあった。

 会社は大騒ぎになった。

 ちょうどその頃、僕は日本代表選手としてヨーロッパ遠征に行くことが決まり、会社から餞別が出ることになっていた。それなのに、当人が会社にも来ないし、寮にもいない。上司も本当に困っただろうと思う。そして実家に、出社するようにという速達が届けられた。結局、上司が謝ってくれたけれど、今思えば僕が悪かったと反省しきりである」

 この後、川淵氏は故障を抱えながらも克服し、東京オリンピックではアルゼンチン相手に同点ゴールと1アシストを決める活躍を見せた。

 会社員生活も順調で、名古屋支店の営業部長にまで昇進する。もちろん若気の至りの頃からは脱却して、困った部下の扱いといった、管理職なら誰もがぶつかる問題も経験した。マネジメントやコンプライアンスを実地で学び続けたのだ。

 こうした経験を振り返って、川淵氏は「今にして思えば、サッカー採用だったとはいえ、サッカーのことしか考えていない社員ではなかったことが、自分にとってもよかったと思う」と語っている。

 川淵氏のキャリアから教訓を得るべきスポーツ関係者は多いのではないか。

デイリー新潮編集部