「山口組」緊迫の夏 六代目の最後通牒は“本家へ復帰できるのは8月まで”

国内 社会 週刊新潮 2018年8月2日号掲載

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 山口組「分裂劇」から間もなく3年。大規模な抗争に発展しないまま、時だけが経った感があるが、水面下での「切り崩し工作」が今、最終局面を迎えている。六代目側が設けた組員の「復帰期限」である8月末が迫る中、刻一刻と緊迫の度合いが増しているのだ――。

 7月23日、兵庫県神戸市、篠原本町にある山口組総本部の前は朝から慌ただしかった。肌を刺すような陽射しが容赦なく照りつける中、「神戸」「なにわ」「大阪」「和歌山」「豊橋」「名古屋」といった様々なナンバーの車が次々と本部前に滑り込む。すると、中から組員が飛び出してきて、身元を確認した上で電動のシャッターを開け、車を中に招じ入れると、閉じる。シャッターの開閉は幾度となく行われた。

 この日は、山口組の「中興の祖」である田岡一雄・三代目組長の命日。田岡家先祖代々之墓は神戸市の長峰霊園にあり、その隣には、山口組の歴代組長5人の名が刻まれた「慰霊碑」と、200人を超える、亡き直系組長の名が並ぶ「組碑」があった。過去形で記すのは、その慰霊碑と組碑が昨年8月末に山口組総本部内の一画に移設されたためだ。

 午前11時45分、本部内からスーツ姿の数十人の親分衆がぞろぞろと姿を見せ、慰霊碑と組碑の前に設えられたテント下のパイプ椅子に腰を下ろした。グレーのスーツにブルーのネクタイをしめた司忍・六代目組長(76)が現れたのは、正午。その瞬間、参列者全員が直立し、野太い声の挨拶が響いた。

「これより故・三代目田岡一雄親分の三十八回忌法要を執り行わせて頂きます」

 司会進行役がそう述べると、まず司組長が立ち上がり、焼香台で焼香を済ませた。その後、他の親分衆が5基の焼香台で次々と焼香していった。

 3分ほどで参列者全員が焼香を終え、「これにて、故・三代目……」と法要の終了が告げられると、司組長を先頭にして本部内へと戻っていく。その際、組長は報道陣に「暑いなぁ」と声をかけた。

「この日の司組長は、心に期するものがあったのではないでしょうか。何しろ、神戸山口組から六代目山口組に組員が復帰出来る“リミット”まであと1カ月と迫っていますから」

 暴力団の事情に詳しいライターはそう話す。

「“リミット”とは、今年4月の六代目山口組の定例会の後に一部ブロックで伝えられ、最終的には全傘下組織に周知された通達のことで、その内容は、“離脱者の受け入れを認めるのは8月一杯まで”というものでした。それまで司組長は一貫して“復帰を希望する者に門戸を開く”と説いてきましたが、初めてその期限を設けたわけです」

 なぜ「8月」なのか?

 その理由を巡っては、様々な臆測が飛んだが、

「まず考えられるのが、この8月で分裂から3年の節目を迎えるということ。加えて、来年秋頃には、六代目山口組の高山清司若頭が刑務所から出所するという事情もある。出所まであと1年余りに迫っており、何とかそれまでに騒動を収束させたい、との考えもあるのでしょう」(同)

 ただし、一方では、

「分裂から3年も経つのに、未だに神戸山口組を潰しきれておらず、膠着状態が続いているのも事実。その意味では焦燥感もあるはずです」(同)

 とはいえ、分裂時に比べて神戸山口組の弱体化が進んでいるのも事実で、

「六代目側からは、8月一杯で区切った復帰の期限が来た後、神戸山口組は白旗を揚げるだろう、という声も聞こえてきます。もちろん神戸側に言わせると、“そんなわけないだろ”ということになるのですが、客観的に見れば、神戸側が苦しいのは間違いない」

 と、山口組に詳しいジャーナリストは語る。

「1カ月ほど前、こんな噂を聞きました。山健組の中田浩司組長が六代目側のしかるべき人間から“戻ってこい”と言われた、というのです。これが本当であれば、要するに、神戸のド真ん中の人間にそんな声がかかるほどまでに、切り崩しが進んでいる、ということになるのです」

 神戸山口組の中核組織である山健組で「代替わり」があったのは、今年5月。それまでは神戸山口組の井上邦雄組長が当代を兼任していたが、中田浩司組長が五代目を継承することになったのだ。

「そもそも、六代目側が組員復帰のリミットを設けたのは、山健組の代替わりを見越したものだったという見方もあります」

 とは、先のライター。

「中田組長への継承を快く思わない山健組幹部らに対して、“戻るなら今”というメッセージを発するために通達を出したのではないか、というわけです。実際、リミットを設けた後、“大型移籍”も実現しました。四代目山健組の執行部の一員だった生島仁吉組長が率いる生島組が六代目山口組系組織に移籍したのです」

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