「スタンプ集めの出世に意味はない」 石破茂氏が「異論」を唱え続ける理由

国内2018年7月31日掲載

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「ポスト安倍」として世論調査では高い支持を得ながらも、石破茂衆議院議員は自民党員に限った調査では、安倍総理に引き離されている状況だという。実際のところ、安倍総理を熱烈に支持する層に、石破氏の評判は良くないようだ。

 平和安全法制や憲法といったテーマでは、総理が口にしたプランに対しても堂々と異論を述べ、その様がテレビや新聞で伝えられる。するとネット上などでは「後ろから鉄砲を撃っている!」と批判が浴びせられることになる。

 しかし、本人はそうした声をあまり気にしていないようだ。新著『政策至上主義』でも、安倍総理の唱えた「集団的自衛権」の解釈に対しての違和感を隠さずに持論を展開している。さらに、「後ろから~」といった声に対しても正面から反論し、熱い主張を繰り広げている。そこからは安倍総理との違いもよく見えてくる。以下、同書から抜粋・引用してみよう。

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リアリストとは何か

 集団的自衛権の一部行使、つまり平和安全法制に関して、安倍総理のお考えはおそらくこういうことだったのでしょう。従来の自民党の「集団的自衛権の行使は憲法上禁じられていない」という主張をベースにして、そこに制限をかける形の立法では、国会を通らない可能性が高い。公明党の理解も得られないだろう。であれば、「憲法上制限がある」ということを前提として、一部分の行使を容認する、としたほうが通りやすい――。ある意味の現実路線とも言えます。

 2017年、安倍総理が提起された憲法改正についても同様のアプローチと言えるのかもしれません。従来の自民党憲法改正草案では国会を通らないから、「次善の策」として「3項を加えて自衛隊を明記する」というプランはどうかと考える。まずは改憲することを優先するための判断かもしれません。

 それを踏まえて、このように言う方もいるかと思います。

「まあ理屈では石破さんの言う通りかもしれない。でも、今は安倍さんのプランのほうが世間に通りやすいってことなんだよ。理想を言っても現実が動かないんじゃ仕方ないでしょう。もうちょっと現実と向き合いなよ」

 そして、このようなアプローチをする人をリアリストと呼ぶ人がいるかもしれません。

 しかし、私はまさにそこを問いたいのです。

 それは本当にリアリストなのだろうか、本当に現実と向き合っていると言えるのだろうか、と。

 難しいこと、高い理想を言ったところで世間は理解しない、というのは本当なのでしょうか。本当に誠心誠意、ここまでに述べたようなことを丁寧に説明しても、国民を説得できないのでしょうか。私にはとてもそうは思えないのです。

私たちが向き合うべき現実

「現実」とは何でしょうか。私たち政治家が向き合うべき現実は、国会をどうスムーズに通すか、国民の反発をどう少なくするかといったことだけではないはずです。

 安全保障の分野において、向き合うべき現実とは何か。

 北朝鮮は15年前と比べて格段に高い軍事技術を有するようになり、すでにいつでもどこからでも何発でもミサイルを発射できるようになりました。金正日(キムジョンイル)時代よりも行動をエスカレートさせており、国内で側近を粛清し、海外で実の兄を暗殺する、若く経験に乏しいリーダーがいる。これが現実です。たとえ米朝会談が行われ、雪融けムードが醸成されたからといって、決して油断できる相手ではありません。

 北朝鮮は、過去に何度も約束を反故(ほご)にしてきた国なのです。これも現実です。

 中国の軍拡も、今のところ留まるところを知りません。これもまた向き合うべき現実です。

「だから米軍と協調するのが一番だ」というのは一つの解でしょう。しかし、一方で米軍との協調にもリスクがあるというのも、また私たちが向き合うべき現実です。

 仮に米軍ヘリから落ちた備品が子供を直撃したらどうなるのか。米軍機が住民のいるところに墜落したらどうなるのか。おそらく大変な反米感情が沸き起こることでしょう。在日米軍が地域の安定と我が国の抑止力に寄与しているからこそ、このような状況になってしまえば、我が国にとっても、東アジア地域にとっても大きな悪影響が生じます。

 宜野湾市の大学構内に米軍ヘリが墜落したのは、私が防衛庁長官在任中のことでした。不幸中の幸いは、民間人に死傷者が出なかったことです。仮に学生が死亡するような事態になっていたら……と思うとぞっとします。

 沖縄の米軍基地問題についても、いったい地元の方々は何に対して怒っているのか、という点についてもう少し思いを馳せる必要があるだろう、と考えています。「基地反対派」をひとからげにして、「反日」「左翼」「中国の手先」といった見方を目にすることがありますが、これはあまりにも乱暴ではないかと思うからです。

 私はもちろん、「米軍基地を全面撤去せよ」といった立場は決して取りません。が、丁寧に聞けば、沖縄の人たちの意見も「全面撤去せよ」といった極端な話ばかりではありません。

 私たち日本国民はまず、先の戦争において地上戦が行われ、県民の4分の1もの死者を出したのは沖縄だけだ、という点をきちんと認識しなければならないと思います。沖縄での決戦は、本土を守るために長引くことになったという面もありました。もちろん東京も広島も長崎も、その他の多くの地域も多大な犠牲を払っています。しかしそれは、沖縄の被害がきわめて甚大だったことを軽視する理由にはなりません。

 そして沖縄に米軍基地が集中しているのは、必ずしも沖縄が地政学的に重要な位置を占めているからというだけではありません。終戦直後には本土にも多数存在した米軍基地について、1960年代の安保闘争の流れの中で大きくなる反米感情を考慮して、まだ日本に復帰できていなかった沖縄に都合よく機能を移転したという経緯もありました。

 こうしたことは沖縄の人にとっては常識ですが、必ずしも本土ではそうではない。このギャップが、共感の欠如につながっている可能性もあるでしょう。

 沖縄の負担については、たとえば自衛隊の海兵隊機能を強化することで改善できるかもしれません。

 海兵隊は一部の人の言うような「殴り込み部隊」などではありません。島嶼部を擁する海洋国家では当然の、自国民の救出と島嶼部の防衛を主任務とする部隊です。今まで自衛隊には「海兵隊」はありませんでした。ようやく先般、「水陸機動団」が新編され、海兵隊的な機能が付与されることとなりました。これを拡充し、自衛隊で行なえる任務の分は米海兵隊を削減していくようにしてはどうか、ということです。

スタンプ集めに意味はない

 安全保障という国の根幹に関わる問題について本質的な議論とは、我が国にとっての脅威とは何か、それに対して抑止力をいかにして維持し強化するか、あるいは有事に至らない態様で領土主権が侵された場合にどう対応するか、という具体論のはずです。しかしこういった議論は、国会ではほとんど行なわれず、憲法の解釈をめぐる攻防ばかりが繰り返される。

 それは政権復帰して、「一強」と称されるような状況になっても変わりませんでした。

 これでは、国民的な議論の広がりが期待できるはずはありません。

「ポスト安倍」として名前を挙げられるのは光栄なことですし、そのためには、もっとうまく立ち回ることもできたのかもしれません。望まれる通りに大臣を務め、党内でも波風を立てず、余計なことは言わない……一つずつスタンプカードにスタンプをためるようにして、何らかの「実績」を積み、「賞品」と交換してもらうというのも、世の中を渡る一つのやり方でしょう。そのほうが政治家として快適に生きられるのかもしれません。

 しかし、それでは何のために政治家になったのかわからなくなってしまいます。

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 あくまでも「政策」を愚直に説くことを続けたいと語る石破氏。こういうスタンスは永田町では特殊なのだろうか。

デイリー新潮編集部