“自分の中に住んでもらう” 「大岡越前」と年を重ねた「加藤剛さん」(墓碑銘)

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 またひとり、誰もが知る“名優”がこの世を去った。週刊新潮のコラム「墓碑銘」から、加藤剛さんを偲ぶ。

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 加藤剛(ごう)さん(本名・剛(たけし))が江戸の名奉行、大岡越前守忠相(ただすけ)を演じた「大岡越前」は記録的な人気番組だった。

 1970年の放送開始から99年終了の15部まで400話以上続き、平均視聴率は20%以上。そして、加藤さんは2006年放送のスペシャル版を含め、一人で主役を演じ続けてきたのだ。一方、「水戸黄門」は69年に始まり2011年に終了。15年の復活特番まで、ご老公役は5人でつないでいる。

 加藤さんは役を演じるというより、役の人生を生きる、自分の中に役に住んでもらうと語っていた。関係する資料を読み、ゆかりがある場所も訪ねて、役への理解を深めるのはもちろん、この役柄ならどう考え行動するだろうと常に意識した。

 なんと自分に厳しい人か、と思うが、70歳当時の加藤さんは本誌(「週刊新潮」)に〈画面の中の役・大岡忠相とともに年をとっていく――俳優としての最高のゼイタクができました〉と語っている。

 写真は09年に本誌が取材した時のもの。「大岡越前」で、岡っ引きの「すっとびの辰三」役の高橋元太郎さんから備前焼を教わった。ろくろを回しながらセリフを反芻していたのである。

「大岡越前はきっとこんな人柄だと、観る者を納得させました。一瞬の笑顔や眼がきれいでね。生真面目というより誠実で、他人の痛みや喜びを自分のことのように受け止められた。その温かさが演じる人物への理解につながっていました」(演劇評論家の岩波剛さん)

 38年、静岡県の御前崎の近くで生まれた。父親は小学校の校長先生だ。早稲田大学で演劇を学んで俳優座養成所に進み、62年テレビドラマ「人間の条件」で主役に抜擢。戦時下に良心を貫く若者を演じ絶賛される。

「ひたむきな正義感の持ち主の印象が『人間の条件』で焼きつきました。役の幅を狭めたかもしれませんが、信念を持つ清廉、実直な姿が支持されたのです」(演劇評論家の大笹吉雄さん)

 女性から圧倒的な人気を得た。コマーシャルへの出演を請われると固辞。40歳を前にして、人にものを勧めてもよい歳になったかと、ようやく引き受けたとはこの人らしい律義さだ。

 平将門を描いたNHKの大河ドラマ「風と雲と虹と」、映画では栗原小巻さんとの恋愛模様が話題となった「忍ぶ川」(熊井啓監督)や松本清張原作の「砂の器」(野村芳太郎監督)など、評判となった作品は枚挙にいとまがない。

「楷書のような演技です。手抜きや自分の思い込みがなく謙虚でした」(映画評論家の北川れい子さん)

 篠田正浩監督の「夜叉ケ池」(79年)では池から竜神が現れないように鐘を毎日つき続けてきた男を好演。

「この世離れした純粋さ、人間の理想の生き方を身をもって無理なく示せるのは、剛さんしかいないとお願いしました」(篠田さん)

 佐藤純彌監督も述懐する。

「『空海』(84年)で最澄の役を演じてもらいました。すっきりして余分なものが全くないのです。くさい芝居など絶対にしません」

 早稲田大学で属した学生劇団の1年先輩にあたる女優の伊藤牧子さんと68年に結婚した。よき批評家でもあり、現場によく一緒に現れた。2男を授かり、長男の夏原諒(りょう)さん、次男の加藤頼(らい)さんはともに俳優の道を歩んでいる。時間が許せば幼稚園の送り迎えもし、子供と語り合う父親だった。

 ウォーキングという言葉が一般的になる前から、毎日30分以上、姿勢正しく歩いていた。食事は腹七分目。70代半ばでも50代に見えた。

 昨年12月には「徹子の部屋」に次男と出演するなど活動を続けていたが、今年3月に胆嚢癌が見つかる。

 告知後も前向きだったが6月18日に容体が急変、80歳で逝去した。遺志に従い、葬儀は家族だけで営まれた。

 大岡裁きを求めてか、身の上相談の手紙が続々と送られてきたのも、親しまれ、信頼された加藤さんらしい。

週刊新潮 2018年7月26日号掲載

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