目黒「5歳女児」虐待死事件 「家庭」の中の地獄「パパ恐い。家に帰りたくない」

国内新潮45 2018年8月号掲載

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 東京都目黒区の船戸結愛ちゃん(5)が虐待を受けて死亡した事件。食事を与えず暴行を繰り返した継父の雄大容疑者(33)と実母の優里容疑者(25)は「保護責任者遺棄致死」の罪で起訴された。その鬼畜の所業は「殺人」ではないのか――。夫婦の虐待の数々をノンフィクションライターの水谷竹秀氏がルポする。(以下、「新潮45」2018年8月号より抜粋、引用)

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 東急電鉄田園都市線の駒沢大学駅から東南に徒歩約15分。瀟洒な高級住宅が並ぶ中、白い木造の2階建てアパートは老朽化が目立ち、ベランダの鉄筋部分はさび付いて赤茶けていた。5歳の船戸結愛ちゃんが、継父の雄大と実母の優里から虐待され、死亡した部屋(2DK)は2階の中央だ。ベランダの物干し竿には洗濯ばさみが取り付けられ、エアコンの室外機には、紫色のベビーカーが立て掛けられたまま。二つのガラス戸は、カーテンで閉め切られていた。

ほぼ寝たきり状態で

 6月27日、雄大と優里は、保護責任者遺棄致死罪で東京地裁に起訴された。起訴状によると、今年1月下旬ごろから、結愛ちゃんに十分な食事を与えず、2月下旬には雄大の暴行により極度に衰弱していたのに、病院へ連れて行くことなく放置していた。3月2日、肺炎による敗血症で死亡させた。

 栄養失調だった結愛ちゃんの体重は、5歳児の平均体重を7キロも下回る12・2キロしかなかった。病院に搬送された際はおむつをはいた状態で、すでに自力でトイレに行けないほど衰弱していたとみられる。遺体にはいくつもの痣があり、あばら骨が浮き出ていた。

 雄大と優里の間には長男(1歳)が生まれていたため、アパートには当時、4人で一緒に暮らしていた。しかし、優里と元夫との間に生まれた連れ子の結愛ちゃんだけは、別の部屋で寝かされていた。

 雄大と優里は、結愛ちゃんの食事を制限し、朝食はスープ1杯、昼食はコメを茶碗3分の1、夜は茶碗半分程度しか与えていなかった。結愛ちゃんは毎日、自分で体重を測定し、ノートに書かされていた。しかし、2月20日を最後に、それも途絶えていた。

 結愛ちゃんは同月末ごろから、雄大に顔面を殴られるなどの暴行を受け、その後はほぼ寝たきり状態で、嘔吐を繰り返していた。死亡する数日前には、雄大から風呂場で冷水のシャワーを浴びせられた。

 部屋からは、結愛ちゃんが鉛筆で綴ったノートが見つかっている。

〈もうおねがい ゆるして ゆるしてください おねがいします ほんとうにもう おなじことはしません ゆるして きのうぜんぜんできてなかったこと これまでまいにちやってきたことを なおします〉

 まだ小学生に入学する前の結愛ちゃんが自分で目覚まし時計をセットし、毎朝4時に起床。ひらがなの練習をさせられていた。部屋には電灯がないため、冬場の暗い中で勉強していたとみられる。

 さらにアパートからは、「いきがきれるまでうんどうする」「4じまでにふろをあらう」「はみがきをします」など20項目近い日課が書かれた段ボール片も見つかっている。

 6月6日の逮捕時、雄大は警視庁の調べに対し「暴行し、食事を与えず、病院に連れて行かなかったのは間違いない」と容疑を認める供述をした。対する優里は「自分の立場が危うくなることを恐れ、虐待を容認し、見て見ぬふりをしていた」と証言。その後、雄大は一転して、黙秘を続けている。(中略)

人口3万の街で

 ある時は「ドン」と響く音、またある時は「どうしてこんなこともできないの!」というヒステリックな母親の声が、その部屋から外部に漏れていた。

「ドンっていう音はするけど、最初は何だか分からなかった。尻餅をついたのかなと。たまに、お父さんが説教している低い声も聞こえてきました」

 香川県善通寺市。船戸一家が住んでいたアパートの住人はこう語る。

 そのアパートに雄大と優里、結愛ちゃんの3人が住み始めたのは2015年半ば。3階にある1DKの部屋で、家賃は6万円あまりだった。

 善通寺市は香川県北西部に位置し、人口は約3万2600人。市のシンボルとされる五重の塔が建つ善通寺は、空海誕生の地として知られる真言宗善通寺派の総本山である。結愛ちゃん虐待の最初の舞台となったアパートは、そんな由緒ある寺の目と鼻の先、徒歩数分の圏内にあった。(中略)

 船戸一家がアパートに住み始めた当初、雄大と結愛ちゃんがボールで仲良く遊ぶ姿が近隣住民に目撃されていた。ところが、ある時から雄大が結愛ちゃんに「躾」をするようになる。アパートの住人が証言する。

「結愛ちゃんは、最初は普通の子どもと同じように『えーん、えーん』と大きな声で泣いていた。ところが、だんだん小さくなり、しくしくっていう、くぐもった泣き声に変わっていきました」

 善通寺市を含む県西部を管轄する児童相談所(児相)・西部子ども相談センターによると、雄大は「結愛ちゃんが妻とおばあちゃんに甘やかされて何もできない子になっているから、きちんとしつけたい。特に礼儀作法、挨拶、お礼。結愛ちゃんが嘘をつくので、それで怒って叩くことがあった」と説明していた。

 虐待の端緒をアパートの住人が確認したのは、16年8月だった。住人が振り返る。

「結愛ちゃんが顔を水に付ける練習をしている様子が、あの部屋から聞こえてきたのです。それが『バシャン! バシャン!』という不自然な音だった。自分から顔をつけているのではなく、母親に無理矢理押さえつけられているような感じでした」

 練習は1週間ほど続いた。

「ママ、苦しい。止めて!」

 ある日の夕方、そんな結愛ちゃんの声が聞こえた。あまりに心配した住人は、スマホでその状況を録音し、児相に通報していた。

 その年のクリスマスの晩には、パジャマを着た結愛ちゃんが、アパートの外に放り出されている姿を目撃した。温度計を見ると7℃。その寒さの中で裸足だった。すかさず自宅から持って来た衣類を、結愛ちゃんに着せた。抱きかかえた住人は自転車の後ろに乗せ、背中をさすり続けた。

「パパに怒られた。パパ恐い。家に帰りたくない」

 結愛ちゃんは震えながらそう口にした。

 友人の協力を得て警察に通報し、パトカーが到着したところで結愛ちゃんを引き渡した。雄大は部屋の中にいたとみられ、しばらくしてから屋外に飛び出してきた。携帯電話を手に「いない! いない!」と繰り返し、慌てながら結愛ちゃんを探していたという。

 西部子ども相談センターによると、この時、結愛ちゃんは唇から出血し、額にはこぶができていた。事態を重く見たセンターは結愛ちゃんを一時保護。翌17年2月に一旦解除したが、3月にアパートの外で再び警察に発見された。唇から出血していた結愛ちゃんから「パパに叩かれた」と打ち明けられ、2回目の一時保護措置。4カ月後に解除をしてからは見守り態勢を強化し、家庭訪問や病院への通院を促すなどで結愛ちゃんの状態を注視していた。

 以来、一時保護の措置が取られることなく、雄大は17年末、単身で東京に渡る。会社での勤務は12月20日が最後となり、夜には居酒屋で送別会が開かれた。回想するのは元上司だ。

「船戸君の働きぶりには期待していたので慰留しました。ですが、『結愛ちゃんがおとなしすぎて、ご近所の人にも挨拶ができない、このままではダメなので環境を変えたい』と。この春から結愛ちゃんは小学校に上がる予定でした。入学手続きも控えていて、転校はさせたくないので今辞める必要があると言っていた」

 雄大は17年2月と5月に結愛ちゃんへの傷害容疑で書類送検されていた。いずれも不起訴で表沙汰にならなかったため、会社側は全く把握していなかった。

「タイムカードを見ると、書類送検の翌日、船戸君は普通に出勤していた。家庭でそんなことになっているとは、誰も気付きませんでした」(中略)

 大自然に囲まれた故郷を離れ、東京に結愛ちゃんと1歳の長男を連れて転居したのは今年1月下旬。目黒のアパートでは、結愛ちゃんは、近隣住民に目撃されていなかった。(後略)

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 全文は「新潮45」2018年8月号に掲載。雄大の仕事ぶりや、事件当日の様子、船戸一家のような「ステップファミリー」が舞台となった他の虐待事件など、8ページにわたり詳しく解説する。

水谷竹秀(みずたに・たけひで)
1975年三重県生まれ。上智大学卒。新聞記者等を経てフリーに。2011年『日本を捨てた男たち』で開高健ノンフィクション賞を受賞。著書に『だから、居場所が欲しかった。」など。