さらば桂歌丸 笑い笑わせ81年

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 超長寿番組「笑点」の放送回数は、この7月8日で2620回。桂歌丸さんは、1966年の第1回から出演していた。第5代司会役での10年を含め、出演回数は2400回を超える。

 猛暑が身にこたえる2日、歌丸さんは慢性閉塞性肺疾患で逝った。享年81。

 入退院を繰り返していた最中の2016年春には、本誌(「週刊新潮」)「桂歌丸 誌上独演会」に登場し「笑点」舞台裏を披露してくれたものだ。

 落語研究家の川戸貞吉さんはこう語る。

「語り口が明瞭で、古典でも新作でも独特の柔らかな落語をなされる方でした。何といっても一番の業績は、テレビを通じて落語を全国に広めたことでしょうね」

 生まれは横浜で、本名は椎名巌(いわお)。3歳の時に父が病死し、父方の祖母に育てられた。祖母は横浜の真金町で遊郭「富士楼」を営む女丈夫。脂粉(しふん)の巷で育った巌少年が落語の世界に飛び込んだのは15歳の時だった。

 40年ほど前からは新作落語から古典へ、特に明治期に活躍した三遊亭圓朝の怪談もの、人情噺などに重点を置き、演じていた。

「歌丸さんには恩人といえる噺家が2人います」

 というのは、演芸評論家で作家の吉川潮さん。

「一人は育ててくれた兄弟子の桂米丸さん、それにまだ二つ目時代に『笑点』に抜擢してくれた立川談志さんです。新作落語で圧倒的人気を誇る米丸、古典では右に出る者がいない談志、その2人にない道はと考え、圓朝の演目に行きついたようです。十八番は怪談『真景累ヶ淵(しんけいかさねがふち)』や『牡丹燈籠』。物語性のある長篇ですが、歯切れがよく、聴かせるんですよ」

 4月に肺炎で入院するも、高座に上る気概は絶やさなかった。だが、2日朝に容態が急変。夫人と娘、孫やひ孫ら家族に見守られての安らかな最期だった。

 一足先にアチラにいった三遊亭小圓遊と、また丁々発止やりあうのだろう。

週刊新潮 2018年7月12日号掲載

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