「犯罪被害者」たちは何と戦ってきたのか――活動が届けた“最低でも死刑を”の声

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「証拠品」から「被害者参加人」へ

 まず一番の“大敵”は、憎むべき犯人が裁かれる法廷そのものだった。かつて犯罪被害者は、刑事裁判で発言することはおろか、いつ加害者の公判が行われるのかさえ知らされなかった。

 高橋弁護士が続ける。

「被害者側は判決文すら入手できず、マスコミからこっそり手に入れていたほど。有名な事件だと、整理券に当たらなければ傍聴することもできなかったのです」

 これを是正するため会が活動に邁進した結果、08年には「被害者参加制度」が導入され、被害者家族は法廷で被告側の証人や被告本人への質問、量刑についての意見を述べることができるようになった。単なる「証拠品」から「被害者参加人」という地位を獲得したのだ。

「この制度で法廷の風景が一変しました。例えば、20歳になる直前の娘さんを殺された父親が“今日のような辛い日を迎えるために娘を育ててきたんじゃない。この気持ちがわかるか”と質したこともありました。こうした声は、弁護士ではなく、当事者が発することに意味があると思います」

 と高橋氏は言うが、法廷で発言する機会を得た遺族の1人、加藤裕司さんも、

「この制度がなかったら、判決は無期懲役になっていたかもしれません」

 と振り返る。今から7年前、当時27歳だった加藤さんの娘・みささんは、派遣社員として働く岡山市の会社内で殺害されてしまう。

 この日、退社手続きで会社を訪れていた同僚の住田紘一は、みささんを誘い出して倉庫の中で強姦。命乞いを無視しナイフで10回以上も刺して殺害したのだ。

 さらに、である。住田が遺体をバラバラに切断して、ゴミ捨て場や川に遺棄したため、発見されたのはわずかに腰の一部だけだった。

 殺害は計画的で、肝心の動機について住田は過去2回、交際した女性にフラれ、「欲求不満を晴らそうと思った」と明かし、誰でもいいから女性を強姦して殺そうと考えていたと自供した。

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