「松戸ベトナム女児殺害事件」父の慟哭 「リンちゃんてんこくいけよ。あいたいよ」

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 2017年3月、千葉県松戸市のレェ・ティ・ニャット・リンちゃん(当時9歳、ベトナム国籍)が殺害された事件。殺人や強制わいせつ致死などの罪に問われた澁谷恭正被告(47)の裁判員裁判が6月18日に結審した。検察側は「非道で残酷な犯行」などとして死刑を求刑。それに対し、澁谷被告は最終陳述で「検察側の主張は架空で、証拠は捏造だ。非常に腹立たしい」などと、無罪を主張。第8回公判では、「通学途中なら親が悪い。親には子供の通学路を守る責任がある」と、リンちゃんの親を愚弄する言葉も述べている。

 異国で暮らす家族を襲った不条理。「捏造」を訴える渋谷恭正被告に、リンちゃんの父親ハオさんは、厳しい表情で対峙する。(以下、「新潮45」2018年7月号より抜粋、引用)

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 その小さな目が、我が子を慈しむように丸く、そして包み込むような優しい表情を見せた。視線の先には、赤い帽子をかぶり、体操着を着て駆けっこするベトナム人女児、レェ・ティ・ニャット・リンちゃんの遺影が飾られている。グレーのスーツに身を包んだ父親のハオさん(35歳)はしばらく、無言でその場にたたずんでいた。

 ここは千葉県我孫子市北新田の排水路脇。当時9歳だったリンちゃんが昨年3月に遺体となって発見された現場だ。雲間から強い日差しが照りつける5月24日午前、ハオさんは献花に訪れていた。

 遺影が飾られた木製の白い祠(ほこら)はハオさんの手作りで、中にはぬいぐるみやジュースなどのお供え物も入っている。その隣には色鮮やかな花々が供えられ、ベトナム産の線香の煙がゆらゆらと立ち込める。

 ハオさんは薄いピンクの芍薬(しゃくやく)の花束を持ち、ビニールの包装をはがしてガラスの花瓶に生けた。そして私たち報道関係者の方を向き、たどたどしい日本語で静かに口を開いた。

「リンちゃんが行方不明になってちょうど今日で1年2カ月です。毎月24日は私にとって、とてもつらいです。来月から初公判が始まる予定です。リンちゃんを殺害した犯人が明確になり、ちゃんと処罰できるように報告したいです」

 ハオさんは現場の方へ振り返り、言葉を継いだ。

「裁判で真実が見えるかどうか心配です。澁谷恭正が本当にリンちゃんを殺害した犯人だったら、極刑の判決を出して欲しいです。リンちゃんの明るい未来のために、今日は新しい色の家にしようかなと思います」

 ハオさんはビニール袋から塗料缶を取り出し、小さなロールで祠をピンク色に塗り始めた。リンちゃんの好きな色である。祠の中に入っているお供え物も取り出し、軍手で丁寧に土埃を取り払い、黙々と塗り続ける。全体がピンク色に染まると筆を取り出し、ペンキの上からこう書き加えた。

〈あんしんしてリンちゃんは はんにんはしけいをします てんこくいけよ。はんにんちょうばつします リンちゃんあいたいよ 2018・5・24〉(原文ママ)

 文字は間もなく、背景に染み入るように消えていった。

 松戸市立六実(むつみ)第二小学校3年生だったリンちゃんは、昨年3月24日朝、登校途中で行方不明になった。その日は修了式で、いつも通り午前8時ごろに家を出たという。学校から連絡を受けたハオさんは警察に捜索願を出したが、悲報はその2日後に訪れた。

 発見された遺体は衣服を身に着けていない状態で、首には紐のようなもので強く絞められた痕が残っていた。現場は六実にあるリンちゃんの自宅から北に約12キロ。ランドセルや衣類はそこからさらに約18キロ離れた、茨城県坂東市の利根川河川敷で見つかった。

 犯人は、リンちゃん宅からわずか300メートルのマンションに住む自称不動産賃貸業、澁谷恭正(47歳)。逮捕容疑は昨年3月24日、リンちゃんを誘って軽乗用車内に連れ込み、車内で無理矢理わいせつな行為をし、首を絞めるなどして殺害したとしている。5月下旬には殺人などの罪で千葉地裁に起訴された。

 澁谷は同小の保護者会「二小会」の会長を務め、毎朝、児童の見守り活動をしていたという。その姿とは裏腹な凶悪さに世間の注目が集まり、連日連夜の報道合戦が続いた。

 献花とペンキを塗り終えたハオさんは最後に、現在の心境を吐露した。

「とってもつらいです。リンちゃんに何もできなかった。もうすぐ裁判始まります。リンちゃん……」

 ハオさんは声を詰まらせ、堪えきれずに涙ぐんだ。(中略)

日本の友人

 澁谷が昨年5月下旬に起訴されてから間もなく、ハオさんはインターネット上で澁谷に極刑を求める署名集めを始めた。

「リンちゃんのため」と題するホームページを立ち上げ、署名を記入するフォームがダウンロードできるようになっている。そこにはこう記されている。

「リンちゃんを殺害した犯人が懲役刑となり、ある日出所することになれば、リンちゃんだけでなく、その犯人の近くで生活する子供たちが被害者になりかねません。私の娘が受けた残酷な被害は二度と繰り返してはいけないと思います」

 第1期に集まった署名は約3万人。大半はベトナム人だった。弁護士とともに今年1月24日、千葉地方検察庁に届け出た。

「一番の問題はその時に、いつ初公判が行われるのか分からなかったこと。何とかしなければいけないという気持ちで駅に立ったんです」

 届け出てから間もなく、ハオさんは街頭で署名を呼び掛けた。まずは柏駅前で、続いて上野駅、千葉駅とそれぞれ1週間、立ち続けた。

「朝の10時から夜の8時まで。駅に立つ前に警察に申請しないといけないんです。申請書類を書くのは最初、友人に手伝ってもらい、次からは自分でやりました」

 一緒に呼び掛けてくれる日本人やベトナム人も現れ、その数は多い時で10人ほどに。海外からも署名は届いた。そうした地道な活動が奏功したのか、第2期の4月9日に提出した段階で、署名者は約113万人に達した。日本の居住者が約6万9千人、ベトナムが約105万人で、残りが両国以外の居住者だった。

 特にベトナムの居住者から送られた署名は膨大な量に上り、これまで日越を行き来する人々に呼び掛けてボランティアで日本に運んでもらった。しかし、未だに数百キロ分の署名用紙がベトナムに残っているといい、「署名してくれた人に申し訳ない」とハオさんは頭を悩ませている。

 こうしたハオさんの活動を事件直後から支える日本人がいる。リンちゃんと同級生だった長男を持つ、リフォーム業者の渡辺広さん(46歳)だ。

 リンちゃんが六実第二小に転校してきた16年1月、長男が担任教諭から「近くに住んでいるから面倒を見てあげて」と言われたことがきっかけで、渡辺さんの家にリンちゃんが遊びに来るようになった。

 春休みになると母親のグエンさんと弟のトゥ君がベトナムの故郷に一時帰省し、ハオさんも仕事で帰宅が遅くなるため、しばらくはリンちゃんを夜まで預かる日が続いた。渡辺さんが当時を懐かしむように語った。

「長男と一緒に学校から戻ってきて、遊んだ後に宿題もし、夜ご飯も食べてお風呂も入っていきました。家庭での日本食はうちで食べるのが初めてだったんじゃないかな。特に妻が作る味噌汁が好きだった。妻が卵焼きを作るのを手伝ってくれたこともありました」

 家族ぐるみの付き合いもするようになり、渡辺さん一家にとって、リンちゃんは隣人以上の親しい間柄になっていく。

「リンは日本語ができますが、間違ったら嫌だなあと思って話さないような、シャイなところがありました。おとなしい性格ではありますが、子どもたちとキャーキャー遊んだりもします」

 渡辺さんが長男とリンちゃんを車に乗せ、幕張の海沿いまで走った際に取った行動は今も悔やまれる。それは一昨年夏前の黄昏時だった。

「車中でリンがあまりに騒ぐので怒ったんです。もっと言い方があっただろうと、今となっては後悔となりました」

 事件発生当日の朝は、リフォームの仕事で板橋にいた。ハオさんからの電話連絡で、リンちゃんが行方不明になったことを知り、慌てて帰宅。家族総出で近くの公園や森などを手当たり次第探し回った。翌日も探したが見つからず、26日に最悪の結果を知らされる。夜になって、我孫子署から戻ったハオさんの自宅へ一人で向かった。憔悴しきったハオさんに、「何もできなくてごめんね」と声を掛け、抱きしめるのが精一杯だった。

 葬儀は雨の中で行われた。春休みでベトナムにいたグエンさんと弟のトゥ君も急いで帰国し、参列した。

「ハオは座っているのがやっとという感じで気力がなかった。トゥは何が起きているのか分からない様子で、斎場内をうろうろしていました。リンの遺体をベトナムに搬送するのにお金がかかるというので、少しでも足しになればと募金活動を家族で始め、50万円ほど集まりました」

 葬儀後、リンちゃんの遺体埋葬のため、ハオさん一家はベトナムに一時帰国。その間、鍵を渡されていた渡辺さんは毎朝晩、リンちゃんにご飯をお供えし、焼香した。

 ハオさん一家が日本に戻ってからは、弁護士や報道陣との調整役に回った。松戸市役所へ3人を車で連れて行った時は、市長と面会し、経済的な援助もお願いした。

 今でもハオさんが日本に滞在中は、週に3~4日は夕食を共にしている。渡辺さんは語気を強めて言った。

「ハオは外国人だから、日本で生活するだけでも大変なのに、こんな悲劇が起きたら2倍にも3倍にも過酷な状況になる。日本でできることは僕がやってあげたい」(中略)

201号法廷にて

 初公判を迎えた6月4日、千葉地裁201号法廷に澁谷が現れると、小さなどよめきの声が上がった。係官2人に連れられ、おぼつかない足取りでゆっくり歩く。よれよれの黒いジャージにグレーの迷彩ズボン姿。ぼさぼさの髪は、肩まで達している。対面に座る黒いスーツ姿のハオさんは、厳しい表情でじっとその方向を見ていた。

 間もなく検察官による起訴状の朗読が始まった。証言台に立つ澁谷は微動だにせず、じっと聞いている。終了後に野原俊郎裁判長から「公訴事実を認めますか」と問われると、澁谷はやや高い声ではっきり答えた。

「ええっと、すべて違います。検察が主張したことは架空で捏造されたことであり、私は事件に一切関与しておりません。全面的に無実、無罪を主張します」

 初公判の審議中、澁谷が口を動かしたのはこの時だけだ。(後略)

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 全文は「新潮45」2018年7月号に掲載。ハオさんが語るリンちゃんとの想い出、在日ベトナム人が急増する理由、近隣住民やバイト先の元店長が明かす澁谷の生活や性的嗜好などを、10ページに亘りレポートする。

水谷竹秀(みずたに・たけひで)
ノンフィクションライター。1975年三重県生まれ。上智大学卒。新聞記者等を経てフリーに。2011年『日本を捨てた男たち』で開高健ノンフィクション賞を受賞。著書に『だから、居場所が欲しかった。』など。

新潮45 2018年7月号掲載

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