実質戦費がどの程度だったかは、複雑な問題

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 第50回(2018年5月10日「第2次世界大戦における戦費の総額はどの程度だったか?」)で述べたように、日華事変(1937年~1945年)と太平洋戦争(1941年12月~1945年8月)の戦費の総額は、『昭和財政史』によれば、7559億円とされている。

 しかし、この中で、「臨時事件費」が5623億円であり、7559億円の約4分の3もの比重を占めている。この額は、ほぼ外資金庫の損失額に対応している。これは、中国や南方の占領地で激しいインフレーションが起きたにもかかわらず、為替レートを据え置いたために、書類上、占領地での名目支出が膨張したことによって「調整」が必要になり、帳簿上計上されたものだ。

 もし現地での物価上昇に合わせて為替レートを調整すれば、このような調整は不要だったろう。そして、軍事費は、臨時軍事特別会計の支出として計上され、その額は、外資金庫の損失額より遥かに少ない額になっていたはずである。

 その意味で言えば、前記の7559億円という額は、かなり「水ぶくれ」したものだと考えることができる。実質的な軍事費は、もっと少ないはずなのである。

『昭和財政史』も、インフレの問題を考慮すると、「各年度の数字を合計しただけでは、ほとんど無意味である」と言っている。ただし、「 物価の変動による修正は極めて困難であり、 また拠るべき正確な物価指数もえられない」としている。

 そして、「昭和9~11年平均の貨幣価値を基準として換算した戦費総額は、約2521億円となる」と述べているだけだ。

 これでは、上記の外資金庫の問題に答えたことにはならない。

 もっとも、仮に為替レートの変更がなされた場合の計算をしてみたところで、それは、「日本の国家予算ベースでの負担がどうだったかを示すのみであり、現地の人々が負った負担を正確に表わしてはいない」という議論もできるだろう。

 このように、第2次大戦の戦費が実質的にどの程度だったのかという問題は、かなり複雑な論点を含んているのである。したがって、見かけの数字を取り上げて、「国家予算の何年分」などと言うのは、きわめてミスリーディングだ。

軍票や国債の実質価値は、インフレによってほぼゼロとなった

 すでに述べたように、日本は軍票の回収をしなかった。そして、このことは、日本人にとって心理的に負い目になっている。これは、戦後処理問題を長引かせた1つの原因でもある。

 しかし、軍票保有者の負担の大部分は、軍票が回収されなかったことによってではなく、インフレーションによってその実質価値が著しく下落したことによって生じたのだ。

 インフレでその価値が著しく減じたから、額面通りの返却をしたところで、実質的には日本政府に大きな負担にならなかったのではないかと思われる。そう考えれば、軍票は全額回収したほうがよかったのではないかとも言える。もちろん、回収をしたところで、日本軍が占領地に大きな負担を強いたという事実に変わりはないのだが。

 日本国内において発行された戦時国債についても、保有者にとっての実質的な負担は、インフレーションによってその実質価値が著しく下落したことによって生じた。

 国内では、戦時中の物価は統制によって抑えられていた。激しいインフレは、戦後に生じた。

 1947年から、資源を石炭と鉄鋼を中心とする基幹産業に重点的に配分し、生産設備を復旧させて、産業の生産力を回復させようとする「傾斜生産方式」が実施された。

 この政策は、一般会計から支出される補助金である価格差補給金と、復興金融金庫の融資によって支えられた。融資の財源とされた復興金融債(復金債)の発行額は、当時の全国の銀行貸出額の4分の1近くにまで達し、その7割が日銀引受とされた。

 このため、通貨供給量が過剰となり、インフレが起きた。年率80%を越えるインフレが発生し、1934~36年の物価指数を1とした場合、1949年の物価は約220となった。45年を1とすると、49年には約70となった。

 これにより、戦時国債の価値は大きく下落した。それによって、日本政府は莫大な残高となっていた戦時国債の重圧から逃れることができたのだ。

野口悠紀雄
1940年東京生まれ。東京大学工学部卒業後、大蔵省入省。1972年エール大学Ph.D.(経済学博士号)取得。一橋大学教授、東京大学教授などを経て、現在、早稲田大学ファイナンス総合研究所顧問、一橋大学名誉教授。専攻はファイナンス理論。1992年に『バブルの経済学』(日本経済新聞社)で吉野作造賞。ミリオンセラーとなった『「超」整理法』(中公新書)ほか『戦後日本経済史』(新潮社)、『数字は武器になる』(同)、『ブロックチェーン革命』(日本経済新聞社)など著書多数。公式ホームページ『野口悠紀雄Online』【http://www.noguchi.co.jp

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