東宝スター「星由里子さん」結婚三度目の正直(墓碑銘)

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 その訃報に、加山雄三さんは“澄ちゃんの存在は永遠”とコメントしていた。週刊新潮のコラム「墓碑銘」から、星由里子さんを振り返る。

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 星由里子さん(本名・清水由里子)といえば、加山さん主演の映画「若大将」シリーズの恋人役・澄子である。

「おおらかな雰囲気の加山さんと、明るく溌剌(はつらつ)として清潔感がある美人の星さん。爽やかな組み合わせでした。星さんを語るならこの一作というより東宝映画の顔で、看板そのもの。記憶に焼きついたスターです」(映画評論家の白井佳夫さん)

 43年、東京・神田生まれ。5人きょうだいの末っ子だ。生家は乾物屋。小学6年生の時に父親を癌で亡くした。

 58年、東宝の「ミス・シンデレラ娘」に応募、見事に選ばれた。翌59年に映画「すずかけの散歩道」で司葉子と共演してデビュー。61年には「若大将」シリーズ第1作のヒロインに抜擢される。以下11作に出演。加山より6歳年下の星さんは、スチュワーデスや店員など毎回違う役柄を好演した。

「千曲川絶唱」(67年)では、不治の病に冒されたトラック運転手を愛する看護婦を熱演、新境地を開く。さらに役の幅が広がるよりも、意外なところで注目を浴びる。乗っ取り屋の異名を取った、東洋郵船、横井英樹社長の長男、横井邦彦さんと70年に結婚したのだ。

 帝国ホテルで開かれた披露宴には、政財界の要人ら1500人が招待された。ウエディングケーキの高さは仰ぎ見る8メートル、祝宴は5時間以上も続き、史上空前の豪華さと話題に。

 だが、80日ほどでスピード離婚。星さんはやつれ果てた姿で記者会見に応じた。

「お騒がせして申し訳ないと謝るばかりです。結婚まで10年以上交際していたのに、一緒に暮らすまでわからなかった面が何かあったのか、真相は語られませんでした」(芸能レポーターの須藤甚一郎さん)

 82年のホテルニュージャパン火災の責任を横井英樹社長は問われ、94年に収容。別れた邦彦さんは2008年に自ら命を絶っている。

 星さんは舞台にも活躍の場を広げ、劇作家で演出も手がける花登筺(はなとこばこ)さんの指導を受ける。花登さんはテレビドラマ「番頭はんと丁稚どん」など、人情喜劇やど根性ものを書かせれば右に出る者はいない売れっ子だ。

 作曲家の神津善行さんが当時を振り返る。

「花登先生は気が短いところがあり、役者にもきつい。反論するとまた理論で返ってきてうまくいかないよと星さんに伝えました。星さんの素直な様子がよかったのではないでしょうか」

 15歳年上の花登さんは師と尊敬する存在に。花登さんが離婚した翌75年に再婚。女優を続けながら支えた。

 メディアプロデューサーの澤田隆治さんは言う。

「花登先生はゴルフに行ってもスタート直前まで原稿を書くような人です。家ではもちろん仕事ばかり。スター女優である星さんが秘書のように働き、尽くしていたのに驚き、感心しました」

 だが、花登さんは肺癌のため83年に55歳で先立った。今度は8年で死別である。

 男運が悪いのではと酷い評判も立ったが、仕事は途絶えず、良縁も舞い込んだ。花登さんの七回忌を終えた後、90年には京都で旅行会社の役員を務める清水正裕さんとお互い46歳で結婚。清水さんも妻と死別しており、1男を連れていた。清水さんの母親は古くから星さんとつきあいがあり、自然と励ましていたのだった。

「結婚相手が一般の人なのに、取材に丁寧に応じて、星さんらしかった」(須藤さん)

「科捜研の女」や連続テレビ小説「あぐり」で品のある母親役を演じるなど存在感を放つ。今年は2本の映画の撮影を行い、3月には所属する東宝芸能の会合にも出席した。昨年、不整脈の一種である心房細動だとわかり、今年に入り肺癌も見つかる。容体が急変し、5月16日、74歳で逝去。

 波瀾の時期を経て、清水さんと暮らした30年弱は、夫の愛情と家族の温かみを実感する歳月だっただろう。

週刊新潮 2018年5月31日号掲載

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