違法サイトに“功”があるとしたら(古市憲寿)

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 子どもの頃、実家が新聞を購読していた時は、欠かさずテレビ欄を見ていた。むしろ、新聞の中で一番好きなページだった。「『THE夜もヒッパレ』を観なくちゃ」とか、それで曜日のリズムを作っていたようにも思う。

 しかし紙の新聞を読まなくなってからは、当然ながらテレビ欄を見る習慣も消えた。インターネットでわざわざ検索しようとまでは思わない。新聞の購読習慣と共に、テレビの視聴習慣も消えてしまったのである。

 このように人間に何らかの行動をさせたり、購買させたりするためには、タッチポイントが重要だ。要は、企業と消費者がいかに接点を持てるのかという話である。企業は、テレビCMや新聞広告、この十年はSNSなどを使って消費者とのタッチポイントを増やそうとしてきた。

 さて、難しいのは消費者とのタッチポイントが、違法の場で発生するケースだ。

 僕がノルウェーに留学していた約十年前の話である。友人のノルウェー人は、放送の翌日には日本のアニメを英語字幕で楽しんでいた。「有志」が日本で放送されたアニメをインターネット上に投稿、さらに「有志」が翻訳字幕をつけて、世界中に公開するわけである。

 法律的に褒められた行為ではないが、当時のヨーロッパでは、日本のアニメをすぐに英語字幕で視聴できるサービスは、お金を出しても手に入らなかった。重要なのは、その後だ。友人は今でも日本のコンテンツが好きで、Blu-rayや関連グッズを含めて、かなりの金額を日本企業のために使っている。違法の場が、日本文化とのタッチポイントとして機能していたのだ。

 話題になった漫画村騒動も似ている。確かに漫画村は著作権的に大きな問題がある。しかし漫画村に代わるような出版社の公式サービスが存在するかといえば、どこにもない。雑誌や版元の垣根を越えて、快適に漫画を読めるようなサービスが存在しないのである。

 しかも今どんどん書店が減っている。クレジットカードが使えない地方の子どもにとって、違法サイトが唯一の、漫画との接点だったという場合もあるだろう。

 そもそも、本当に漫画村だけが悪いのかという問題もある。たとえば、講談社は漫画のシュリンク (立ち読み防止用の透明な包装シート)出荷を実施してから、売上が悩ましいという話を聞く。客はおろか、書店員さえ漫画の中身を気軽に確認できなくなり、宣伝がしにくくなったというのだ。

 漫画村を問題とした人は、サイトを遮断すれば、さも出版物の売上が回復するような発言をしていた。しかし消費者との接点を確保せずに、ただ違法サイトを閉鎖しようとしても、それは自滅への道だ。週刊誌のコンビニ販売も同じだろう。立ち読みだけで返品されることも多いだろうが、物理的に目にする機会の多さで、週刊誌はそれなりの社会的存在感を保っている。まあ運悪く立ち読みでこのコラムを読んだ人には、せっかくだから買ってみて欲しいけれど。

古市憲寿(ふるいち・のりとし)
1985(昭和60)年東京都生まれ。社会学者。慶應義塾大学SFC研究所上席所員。日本学術振興会「育志賞」受賞。若者の生態を的確に描出し、クールに擁護した『絶望の国の幸福な若者たち』で注目される。著書に『だから日本はズレている』『保育園義務教育化』など。

週刊新潮 2018年5月24日号掲載

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