「ロン・ヤス」の友情は本物だった レーガンからの“頼みごと”――NAKASONEファイル

政治週刊新潮 2018年2月1日号掲載

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機密指定解除「NAKASONE」ファイル(5)

 1984年3月以降、レバノンで計7名の米国人が誘拐された。犯人は、イランが影響力を持つイスラム教武装組織。困り果てたレーガン大統領は85年7月、夏休みで軽井沢に滞在中の中曽根康弘総理に一本の電話をかけた。人質救出に協力してもらえないか、と。

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 中曽根康弘は今年の春に満100歳を迎える。海軍士官として敗戦を体験して政界入りし、復興から高度経済成長、そしてバブル景気とその崩壊に立ち合った彼は戦後史の目撃者と言っていい。その哲学を回顧録で次のように語っている。

「私のモットーは、結縁・尊縁・随縁の三縁主義でね、つまり、縁を結び、縁を尊び、縁に随う。縁は神様が与えてくれたものだから、向こうが破らない限り、こちらから縁は切らない、結ばれた縁は尊重するという意味があります」(『中曽根康弘が語る戦後日本外交』新潮社)

 総理在任中に生まれたロナルド・レーガン大統領との「ロン・ヤス」関係も、その縁の一つだったが、それを米国政府が自らの国益のため最大限利用したのは第3、4回で述べた通りだ。だがレーガンが中曽根本人に対して抱いた信頼と友情は本物だった。そして、それが中曽根を米国のある外交工作に巻き込んでいった。中東でイスラム教武装組織に拉致された米国人人質を救出するCIA(中央情報局)の極秘工作である。

 政権発足から3年目、欧州歴訪から戻ったばかりの1985年7月27日から中曽根は夏休みで軽井沢に滞在していた。ホテル鹿島ノ森に宿泊して友人とゴルフを楽しんだが、そこへレーガンから電話が入ったという。

「レーガンから軽井沢に突然電話がかかって来てね。レバノンのベッカー高原に捕らえられているアメリカ人の人質救出に協力してもらえないだろうかと相談してきました」「休暇中に、直接軽井沢まで電話をかけてきて、アメリカ人の人質を何とかしてくれというのは、お互いが親しくなければできない事です。レーガンは、日米の親密な関係を頼りにしている。だから私は、『これは本気で助けてやらんといかんな』と思いました」(前掲書)

 そしてこの後、中曽根はレバノンと関係が近いシリアとイランに、元駐フランス大使で中東調査会の中山賀博(よしひろ)理事長を派遣して交渉させたという。これについては外務省が2017年12月に公開した80年代の外交文書でも言及しているが、これだと何の前触れもなくレーガンが突然電話をかけてきたように映る。だが米国側の文書や関係者の証言によると話はそう単純ではなかった。

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