レーガンから中曽根への“援護射撃”だった「ロン・ヤス」関係――NAKASONEファイル

政治週刊新潮 2018年1月25日号掲載

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 中曽根康弘総理とロナルド・レーガン米大統領の「ロン・ヤス」関係は、米国の計算によるものだった。対日戦略を決定する文書「NSDD第62号」に、レーガン大統領が署名したのは1982年10月25日。中曽根政権発足のおよそ1カ月前のことである。就任後に中曽根総理がとった政策は、ほぼ「NSDD第62号」と重なるものだった。

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 その2カ月後の83年1月18日、ワシントンで中曽根総理は初の首脳会談に臨んで日米を「運命共同体」と位置付けたが、その翌日に行われたのがレーガン大統領との朝食会だった。前述の通り(※前回参照)、この席でレーガンが「ロン・ヤス」関係を持ちかけたとされるが、訪米に同行した外務省出身の長谷川和年秘書官によると事情は少々異なる。それによると、当初は駐米日本大使館の國廣道彦公使と相談し、中曽根の方からファーストネームで呼び合おうと提案するはずだったという。

「ところが、翌朝、朝食会から帰った首相は私にこうおっしゃるではないか。『長谷川君、長谷川君、レーガンさんの方から先に〈自分をロンと呼んでくれ、そして貴方をヤスと呼ばせてくれ〉と言われちゃったよ』。そこでこれは、国広(ママ)公使がレーガン大統領のシグール補佐官(ホワイトハウスのNSC(国家安全保障会議)でアジア担当部長を務めるガストン・シグール)に事前に根回しした結果であることを首相にご説明したという次第なのである」(「『ロン・ヤス関係』誕生の記」文藝春秋、2004年8月号)

 日本側は知らなかったかもしれないが、じつはその直前の1月14日、ホワイトハウスで首脳会談に備えたNSCの会合が開かれていた。そこでシグールの上司に当たるウィリアム・クラーク国家安全保障担当補佐官が、「中曽根の目的は大統領との個人的関係を築く事」とする文書を提出した。

「中曽根は大胆でカリスマ性があるものの国内での安定した基盤を持たず、その派閥も自民党で最小の一つである。閣僚の選定で証明されたように、元総理の田中(角栄)と鈴木(善幸)に大きく依存している」

「これが最近の新任の総理の中でもいち早くワシントンに来る背景で、米国との関係を巧く切り盛りできるのを証明する狙いである」

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