竣工50周年で踏ん張る「霞が関ビル」“家賃”と“住人”

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 いまから50年前(昭和43年)とはどんな年だったのだろうか。東京・府中市で3億円強奪事件が発生し、東大では無期限スト(東大紛争)が始まっていた。そして、もうひとつ、世間を驚かせたのが、4月12日で竣工50周年を迎えた霞が関ビルの登場である。

 地上36階(147メートル)の同ビルは、当時、日本一の高層ビル。家賃も日本一高かった。

 近隣の不動産会社の関係者が言う。

「当時は1坪当たりの家賃が1万5000円でした。それまで一番高かった日比谷の国際ビルが7000円でしたから、2倍です。それでも入居希望の会社が殺到したものです」

 競争率は約30倍。難関をかいくぐって入居できたのは、三井化学やKDD(現KDDI)、鹿島など。35階の展望レストランには東京會舘がオープンした。

 当時からの店子である「山口歯科室」の院長が言う。

「永田町や官庁街が近いからビジネスマンだけでなく、高級官僚や政治家が、ここまで治療しにやってきたものです。三井不動産が建てたビルだからメンテナンスが良くてね。それで50年も長居しているというわけです」

 が、半世紀は長い。約10年前には大改修を行ったものの、手狭になったせいか、店子の企業も次第に引っ越していった。竣工当初からいる事業者は、1社しか残っていない。現在は法律事務所やコンサルタント会社の入居が目立つ。

 不動産鑑定会社の幹部によると、

「ビルとしては知られていても、やはり古いので家賃は高いほうではありません。近くの高層オフィスが坪当たり4万円〜4万5000円なのに対して、霞が関ビルは2万7000円〜3万円。虎ノ門周辺では割安な物件ですよ」

 古くても三井不動産によると、空室率は低いという。「霞が関ビル」のブランドは、まだ健在なのである。

週刊新潮 2018年4月26日号掲載

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