とぼけた風情で本格派「月亭可朝さん」の話芸と浮気(墓碑銘)

エンタメ週刊新潮 2018年4月26日号掲載

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 その訃報を聞いて、♪ボインは……と口ずさんだ方も多かったのでは。週刊新潮のコラム「墓碑銘」から、月亭可朝さんの波乱の人生を振り返る。

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 ちょびひげにカンカン帽姿でおなじみ月亭可朝(つきていかちょう)さん(本名・鈴木傑(まさる))。そもそもは端正な語り口が持ち味の落語家で、艶福家でもある。

 人妻の家で関係を持ち、パンツ一丁でくつろいでいたところに、夫が帰宅する。ピンチだ。「あんた、可朝はんとちゃうんか」と驚かれても本人だと明かして悠然としている。「実家が白アリ屋で、奥さんから依頼をもろて床下から天井裏まで調べたところです。お風呂まで入らせてもらい、ありがとうございました」ととっさに白アリ駆除業者を装い、信じこませた。

 長年にわたり縁が深かった放送作家の大河内通弘さんは振り返る。

「瞬時の判断がうまかったですね。女性とギャンブルが大好きでした。“女性をどう口説こうかな”と“お客さんをどう楽しませようかな”は可朝さんの中で同じだったと思います。相手の気持ちを考え、相手のペースで進めて喜んでもらう。それが自然にできました」

 作詞作曲し、ギターを手に自ら歌った「嘆きのボイン」が1969年に大ヒット。「ボインは赤ちゃんが吸うためにあるんやで」と始まり、「お父ちゃんのもんと違うのんやで」と歌は続く。

 いやらしいことをそのまま言えば単なる卑猥。当たり前の言葉から自由に想像を広げてほしいとの歌詞だ。女性に遠回しにエッチな話をして、相手が恥じらい黙ったらそこで口説きをやめた可朝さんである。

 38年、神奈川県の葉山生まれ。幼い頃に大阪に移る。高校卒業後、繊維会社で働くが、3代目林家染丸に入門。ほどなく後の人間国宝、3代目桂米朝の門下に移る。桂小米朝から68年に月亭可朝と改名した。

「舞台に置いた棺桶から出てくるという襲名披露で驚かせました」(大河内さん)

 上方期待の若手に成長。

「可朝さんは、笑福亭仁鶴、桂三枝(現・6代目桂文枝)より一歩抜きん出ていました。型があっての型破りで、落語の基礎がしっかりできていたのです」(演芸評論家の相羽秋夫さん)

 即興で作った「嘆きのボイン」はレコード化され、80万枚も売れて世界が一変。

 71年の参議院議員選挙に全国区から無所属で立候補。

 当時、朝日放送で「新婚さんいらっしゃい!」のプロデューサーを務めていた澤田隆治さんは言う。

「番組開始から4カ月ほど。メインの司会が可朝さんで、三枝さんがサブでした。立候補の前日にも何も聞かされていませんでした」

 急な思いつきだったのだ。公約は一夫多妻制実現と銭湯の男女の仕切りの撤廃。

「局に挨拶に来るだけで丸く収まり、選挙後も復帰できる手筈だったのになぜか現れなかった」(澤田さん)

 予想通り落選。不義理からテレビを干される。妊娠したから慰謝料を払えと訴えられたり、競馬で儲けて買った仏壇の灯明が元で自宅が全焼したりと災難が続く。

「ホンマにホンマ、ホンマだっせ、ついてない、などと高座でぼやくのです。自虐や媚びで笑わせるのではなく、本心でおもしろかった」

 と、落語に造詣が深く、可朝さんと長年親しかった作家の吉川潮さんは言う。

「野球賭博で逮捕された時、暴力団の資金源になるから悪いのだと警察で諭されると、自分は勝って吸い上げていたから表彰ものと言い返したほどです」

 突拍子もない可朝さんの言動を、2歳上の立川談志さんは好んでいた。保釈後、演じる機会をすぐに設けたのも談志さんだ。

 最初の結婚はすぐに別離。頭が良くて気の強い女が好みだ。再婚相手は可朝さんをドーンと受け止めた。1男1女を授かっている。

 2008年には70歳にしてストーカー容疑で逮捕。衰え知らずと感心された。

 昨年11月には新作CDを発売。東京でライブも行っていたが、3月28日、急性肺線維症のため80歳で逝去。

 破天荒でも憎まれない果報者。これぞ芸人だ。