スターリンは、4000万人のソ連国民を殺した

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 1937年から、ヨシフ・スターリンによる大粛清が荒れ狂った。

 反対派は「見せしめ裁判」と呼ばれる公開裁判(「モスクワ裁判」)において、「反革命活動」を「自供」させられたうえで、処刑された。ニコライ・ブハーリン、グリゴリー・ジノヴィエフ、レフ・カーメネフなど、かつてレフ・トロツキーと敵対した中央委員会の多数派もその中に含まれていた。

 1937年から1938年までに、134万人以上が即決裁判で有罪にされ、68万人以上が死刑判決を受けた。そして、63万人以上が強制収容所に送られた。旧指導層は、ごく一部を除いて絶滅した。1934年の第17回党大会における1966人の代議員中1108人が逮捕され、その大半が銃殺刑となった。中央委員会メンバー139人のうち、110人が処刑されるか、自殺に追い込まれた。赤軍の5人の元帥のうち3人、そして最高軍事会議のメンバー80人のうち75人が、粛清された(「ウイキペディア」による)。

 内戦時代の英雄ミハイル・ニコラエヴィチ・トゥハチェフスキー元帥(1893年~1937年)は、「ナチスのスパイ」として逮捕された。サイモン・セバーグ・モンテフィオーリ『スターリン 赤い皇帝と廷臣たち』(白水社)によれば、彼は赤軍きっての有能な将軍で、貴族のようにハンサム。愚鈍な相手に媚びるような人物ではなかった。颯爽として力に満ち、カリスマ的魅力に溢れていた。1920年代においてすでに戦車と飛行機の時代が来ることを理解しており、赤軍の機械化・近代化を指導していた。スパイ容疑は、アドルフ・ヒットラーの策略によると言われる。激しい拷問を受け、スパイであることを自白させられて、銃殺された。この処刑は世界に衝撃を与えた。

 収容所は全国で少なくとも500以上あった。収容された人は、全労働力人口の1割以上を占めたとも言われる。累計で数千万人に上ったとの説もある。

 アレクサンドル・ソルジェニーツィンの『収容所群島』(新潮文庫)によると、零下50度の酷寒でも労働が可能とされた。休みとなったのは、零下55度以下の日だけだった。

 第1次5カ年計画の重要プロジェクトである白海・バルト海運河は、強制労働によるおびただしい数の犠牲者を出しつつ、2年間で作られた。他の公共事業も、無実の囚人の命と引き換えに完成した。当時のソ連は、政治犯の奴隷労働に依存していたのだ。ソ連は、近代において奴隷制を有する唯一の国家になった。

 マーティン・メイリアは、『ソヴィエトの悲劇』(草思社)の中で、スターリン時代を通じての政治的原因による死者を、合計2000万人と推計している。内訳は、強制収容所での死者1200万人(収容所に常時800万人の囚人がおり、その1割が毎年死んだとして、1936年から1950年までの累計)、1937年から1939年の間の粛清による処刑者100万人、農村集団化の犠牲者600万人、である。

 ノーマン・M・ネイマーク『スターリンのジェノサイド』(みすず書房)は、これらの他に、ウクライナ大飢饉の犠牲者、ポーランドとバルト3国での犠牲者、少数民族の虐殺と処刑による犠牲者がいると指摘する。そして、1930年代のスターリンによる大量殺人を「ジェノサイド」と定義すべきだと主張している。

 2000万人は、第2次世界大戦におけるソ連の死亡者と同じだ。つまり、合計すれば、4000万人の人々が犠牲になったわけだ

 しかし、国外にもたらされるソ連の情報は極端に少なく、5カ年計画の成果だけが宣伝された。世界の労働運動家や民族運動家にとって、ソ連はユートピアだった。

秘密警察は、第4次産業であった

 恐怖政治のためには、秘密警察が不可欠だ。名称がたびたび変わったので、文献を読んでいると、混乱する。

 まず、「チェーカー」が、ウラジーミル・レーニンによって10月革命直後の1917年12月に設立された。内戦が終結した1922年2月、GPU(国家政治保安部)と改名し、1934年にNKVD(内務人民委員部)の一局となった。スターリンの死後は、1954年に再び独立して、KGB(国家保安委員会)として存続した。

 エマニュエル・トッド『最後の転落』(藤原書店)によれば、ソ連においては、労働人口の5ないし10%が、警察的監視という非生産的職務についていた。彼は言う。

「中央集権は無秩序を分泌する。労働者の生産性は低い。ソ連の国民所得のかなり大きな部分が、軍備で飛んでしまう。しかし、この3つの要因だけでは、ソ連の生活水準の恐るべき低さを説明するには十分ではない。これらの要因に、100人に5人ないし10人の労働者が、生産部門から引き抜かれて警察で用いられているという事実を加えるなら、中央集権、軍備、KGB、奴隷状態の地位から誘発される低い生産性と言う具合に、貧窮を説明するための十分な数の要因が出揃うことになる。このように、貧窮はもはや経済的な謎ではない。『ソ連モデル』は完全に一貫性があり、そして完全にバカげたものなのである」

「KGBを他とは異なる特殊な行政機関と考えるべきではない。経済の1部門と考えるべきである。ロシアには、第1次産業(鉱業、農業)、第2次産業(工業)、第3次産業(サービス)、そして第4次産業(抑圧)が存在するわけである」

野口悠紀雄
1940年東京生まれ。東京大学工学部卒業後、大蔵省入省。1972年エール大学Ph.D.(経済学博士号)取得。一橋大学教授、東京大学教授などを経て、現在、早稲田大学ファイナンス総合研究所顧問、一橋大学名誉教授。専攻はファイナンス理論。1992年に『バブルの経済学』(日本経済新聞社)で吉野作造賞。ミリオンセラーとなった『「超」整理法』(中公新書)ほか『戦後日本経済史』(新潮社)、『数字は武器になる』(同)、『ブロックチェーン革命』(日本経済新聞社)など著書多数。公式ホームページ『野口悠紀雄Online』【http://www.noguchi.co.jp

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