“入信を止めて止めて止めたんだけど…” 「オウム死刑囚」母の後悔

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面会では昔の話

 他方、同じ坂本事件の現場にいながら、早川の18歳年下、当時、20歳そこそこの若者だったのが、端本悟である。

 1967年、東京生まれ。早大法学部に進学するも、オウムに入信した友人を取り戻そうとするうちに、自ら信仰にのめり込んでしまった。

 空手の経験者で、腕を買われて坂本事件に参加。後に松本サリン事件でもサリン噴霧車の運転をした。秘密を知ったその代償か、恋愛禁止の教団の中で、美人4姉妹「オウムシスターズ」の次女との交際を黙認されていた。

 ジャーナリストの江川紹子さんは、一連の事件発覚前からオウムを厳しく批判、麻原に暗殺指令を出され、自宅に毒ガス「ホスゲン」を撒かれた経験を持つ。その実行犯のひとりが端本だった。

 江川さんが言う。

「しかし検察はそれを捜査しなかった。それなのに、彼の情状を悪くするためだけにいきなり法廷でこの件を持ち出したのです。傍聴席にいた私は驚きました。そこで、弁護人を通じて彼に“法廷で証言すると情状が悪くなるからそれはしなくてもよい”“手紙で良いから、何があったか教えてくれ”と伝えました。すると、彼は“法廷で言います”と、弁護人の質問に答える形で自分の知っていることを話してくれたのです。とても誠実な態度でした」

 その端本の実家を訪れると、彼の母が言葉少なに応対してくれた。

「今もひと月に1度は面会しています。向こうも普通に振る舞っていますし、刑の執行とか、そういう話は一切しません。もう本人もわかっているでしょうけど。いつも親の体調を気遣ってくれたり、家族の話。結局は昔の話ばっかりですよ。あの時はああだったね、とか、あの時は楽しかったね、とか。いかに普通に暮らしたかったか、ってことをね」

 端本が入信したのは、大学3年生の時だった。

「止めて止めて止めたんだけどね。出て行く時は正座して“21年間幸せに育ててくれてありがとう”“でも戦争を止めなきゃ”って。馬鹿みたいな話なんだけど、ああいうところに行くとそうなっちゃうんだろうね。子どもの頃からこういう恐ろしいものがあるんだよって教えられていれば……」

「あなたいくつ?」「ちゃんと育てられて良かったね」。記者にそう語りかける母。悔恨の念は尽きないようだ。

(6)へつづく

週刊新潮 2018年4月5日号掲載

短期集中連載「13階段に足をかけた『オウム死刑囚』13人の罪と罰」より

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