「森友で残業100時間」上司への怨嗟が綴られた職員の「遺書」

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 1年以上に亘ってくすぶってきた「森友問題」が、ここにきて爆発した格好である。自殺した50代の近畿財務局職員は遺書を残していた。そこに書かれていた中身、あるいは名前を巡って、財務省の当事者たちは戦々恐々だという。なぜ彼は、自らの命を絶つまでに追い込まれたのか。怒りの矛先はどこへ向かっていたのか。親族がその心中を代弁した。

 職員について、

「様子がおかしいのに気が付いたのは、昨年の8月でした……」

 こう証言するのは、職員を幼い頃から知る、ごくごく近しい親族である。当初は取材を拒否していたものの、少しずつ重い口を開いてくれた。

「ちょうどその頃、久しぶりに電話で話す機会があったんです。でも、いつもは明るく元気でハキハキとしているのに、その時は暗い声で、実は心療内科に通っていると言う。そして、“鬱の反応が出ている。薬も合わず、夜も眠れない”と」

「何でも愚痴っていいよ」

 心中を慮り、親族はそう声をかけた。すると、職員は、

「実は(月に)100時間を超える残業が続いていた。それも何カ月も」

 と答えたというのである。親族が続ける。

「公務員は毎年6月に定期異動があるそうで“それまでだと思って頑張ってやっていたけど、異動が出来なかった”“つらい”とこぼしていました」

 そして、こんな決定的な一言も出たという。

「常識を壊されるようなことがあった……」

 親族は、あえてこれが何を指しているか、問うことはしなかった。

 しかし、昨年2月、朝日新聞の報道によって、森友を巡る、不可解な土地取引が明らかになった。以後、国会は連日、森友追及一色で、担当の近畿財務局もその対応に追われていた。取引に関わっていた職員の忙しさも想像に難くないが、それにしても残業月100時間以上とは、電通の高橋まつりさんの例と変わりなく、過労死レベルを優に越えるのだ。

 付言すれば、改ざんが行われたのもちょうどこの時期に当たると見られている。

「こちらも気になったので、1カ月に1度くらいは電話やメールで連絡をしていました。しかし、弱音を吐かない人がずっと“未だに元気がない”と言い続ける。おかしい、と思いました」

 秋頃から、職員は休職していた。

「最後に連絡をしたのは、昨年12月。クリスマスの前です。その時は“心と身体がうまくついていっていない。でも年明けから復帰しようと考えている”とメールがありました」

 一進一退ながらも、徐々に復帰への道筋を辿っていた職員。しかしそれが嘘だったかのように、3月7日、突然、自死を遂げるのだ。

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