イスラム国のイスラム教は「正しい」──驚きの「イスラム教の論理」を解剖する(1)

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 2001年9月11日の米同時多発テロ以降、ベルリン、ロンドン、ブリュッセル、パリ、マドリードなど、欧米主要国の首都は軒並みイスラム過激派のテロを経験した。東京がそれを経験していないのは幸運だが、世界は否応なくテロと共存しなければならない時代に入ったのは間違いない。

 シリアとイラクでの「イスラム国」(IS)の支配地域が縮小したことで、今後はイスラム過激派の活動も縮小していくのではないか──。西側世論の一部には、そのような希望的観測も見え隠れする。

 しかし、近著『イスラム教の論理』の中で、西側社会とは根本的に異なるイスラムのロジックを描き出したイスラム思想研究者の飯山陽(あかり)氏は、「イスラム国の領土が仮になくなったところで、イスラム過激派によるテロの脅威は断じてなくならない。イスラム世界を西側の論理で類推すると事態を見誤る」と警鐘を鳴らしている。

イスラム国こそ、コーランの教えに忠実である

 飯山氏によると、そもそも「イスラム国の主張はイスラム教徒にとっては普通」であり、「その『普通であること』にこそ、イスラム国の強さがある」という。

「イスラム教徒は本来、神の啓示の言葉であるコーランの教えを文字通りに実践せねばなりません。そのコーランには、『神は我々に神の敵と戦うよう、神の道においてジハード(聖戦)をするよう命じられた』(第2章216節)とちゃんと書いてあります。

 また、『神が下されたものに従って統治しない者は不信仰者である』(第5章44節)とあるように、イスラム教では本来、人定法ではなくシャリア(イスラム法)で統治しなければなりません。政治体制としても、イスラム教スンナ派が唯一認めている政体はカリフ制であり、この点でもカリフ制をとるイスラム国こそ『正しいイスラム』を実践していると言えるのです」

 逆に言えば、イスラム法ではなく人定法によって統治している王制の湾岸諸国はイスラム法的には正しくない。むしろ「カリフ制、イスラム法による統治、ジハード」の3点セットを律儀に守っているISの方が、よほどコーランの教えに忠実である、というわけだ。

「もちろん、王制諸国もあの手この手で自分たちの体制を正当化していますが、現体制を擁護するための『御用学者のイスラム教』と、『コーランの教えを忠実に実行しようとするイスラム教』を比較したら、勝負は明らかです」

 飯山氏は「イスラム教は本当は平和な宗教」「イスラム国のイスラム教は、本当のイスラム教ではない」という言説は、西側世界とイスラム世界の根本的な違いを隠すためのものに他ならず、正しいとは言えないと述べている。

「ならず者が洗脳されて自爆テロに走る」という誤解

 日本では、自分たちの常識とイスラム世界を架橋するためか、「テロ実行者は地元のゴロツキで、とても正しいイスラム教徒などではなかった」「ジハードなどと言っても所詮はならず者が洗脳されて無謀な自爆テロをやっただけ」との言説も見受けるが、飯山氏によると、これも「話が逆」ということになる。

「そもそもイスラム教徒は、この世がかりそめの世であること、現世の後に来世がやってくること、この世の終末の日には神の審判があることを信じています。審判の日はこの世の清算をする日でもあります。『いつかは清算するんだから大丈夫』とばかりに、悪行を重ねるイスラム教徒も実は多いのですが、ジハードという『最大善』を行えば、この世の悪行はきれいに清算される。つまり、放蕩者や悪行者こそジハードに邁進したくなる構造が、イスラム教の論理には内包されているわけです」

 だから、「ならず者が洗脳されて自爆テロに走った」と言ってしまうのは、イスラム教の論理そのものを否定することにつながりかねない。西側の常識で、「この世の快楽」や「自己実現」の観点から彼らの行動を変えようと試みても、イスラム教徒の心には響かないのだ。

 我々とはどんなに違っていても、地球人口70億の4分の1を占める18億人は、この「イスラム教の論理」に従って生きている。イスラムの台頭は、「異文化共生」とか「多様性のあるグローバル社会」などという甘い言葉で乗り越えられるようなものではないのだ。 

デイリー新潮編集部

2018年2月28日掲載

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