「あの子は私がいないとダメだから――」 52歳ひきこもりを支える81歳の母

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家族文化の内実

 いかがだろうか。

 本稿で紹介した以外にも、多数の「中高年ひきこもり」を見てきたが、共通するのは、歪な親子関係だ。「優しすぎる親」「強すぎる親」「子に無関心な親」――。

 冒頭の例(※前回参照)もそうだ。

 長男は小学生の頃から対人関係が苦手で話しかけられてもうつむくだけ。弟は活発だったが、母に家から締め出されてよく泣いていた。家からは母のヒステリックな怒鳴り声がよく聞こえていたという。

 次男が高校生になった頃、家庭内暴力が始まった。物がぶつかる音、激しい怒鳴り声が飛び交うのが日常になり、父が没した後、次男の暴力に耐えかねた母は息子を捨てて家を出た。同級生の母が心配して声をかけていたが、次第に大人を拒むようになり、兄弟それぞれの形で、社会から降りた。

 発達障害だと思われる長男は生きやすい道を考慮されることなく、強い母に萎縮したまま、一度も自分の人生を生きたことはない。最近、行政が訪問した際、兄は「困っていることはない」と、玄関脇の小窓から顔を半分出して答えたという。次男が近隣住民を威嚇するのは自己防衛であると同時に、自分を捨てた母への怒りもあるのだろうか。

 家や子どものことは妻に任せて関わらない父と、独善的な価値観を力で押し付けてきた母により、元来、適応能力に乏しいと思われる兄弟は、社会で生きる力を与えられないまま放置された。今や自治会から「ゴミ屋敷という脅威」として市に対応を迫られる存在となっている。

 前出の明石氏は言う。

「80代の親の多くが、子どもに良かれと道を作り、いい学校へ行けば経済的に上に行けるという、単一の価値観を押し付けてきた。子どもに選択させることなく、多様な生き方を認めない。だから挫折した時に自分の前から人生が消え、ひきこもるしかない。しかも親が困らない限り、助けを求めないゆえに長期化する」

 であれば、そうした「子育て」は今でも多くの人が我が身に思い当たるはず。いつ誰もが子どもの「ひきこもり」に苦しんでもおかしくない。

 果たしてこれは、その世代特有の問題なのか。同じ過ちの道を下の世代である私たちもまた、歩んできているのではないか。親としてのありよう、家族文化の内実を、「中高年ひきこもり」問題は鋭く問いかけている。

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黒川祥子(くろかわ・しょうこ)
ノンフィクション・ライター。1959年、福島県伊達市生まれ。東京女子大学卒業後、専門紙記者、タウン誌編集者を経て独立。家族や子どもを主たるテーマにノンフィクションを発表し続ける。主な著書に『誕生日を知らない女の子』(開高健ノンフィクション賞受賞)など。橘由歩の筆名でも『「ひきこもり」たちの夜が明けるとき』等の著作がある。

週刊新潮 2017年11月30日号掲載

特別読物「『40超えてもニート』が全国に70万人! 日本を蝕む『中高年ひきこもり』――黒川祥子(ノンフィクション・ライター)」より

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