フジ「みなおか」終了で名物プロデューサー、港浩一氏が語る「とんねるず」秘話

エンタメ 芸能

  • ブックマーク

一気に民放トップへ

 80年代のフジテレビはバラエティでした。まずは横澤班が「THE MANZAI」(80~82年)に始まり、「笑ってる場合ですよ!」(80~82年)、「笑っていいとも!」(82~2014年)、そして「オレたちひょうきん族」(81~89年)と人気番組を作っていった。

 僕は「ミュージックフェア」(64年~)などをやっていた石田班に入りました。特にきっかけはなかったと思うんですが、石田さんも僕も音楽好きだし、なにか相性が良かったんでしょうね。

 当時はまだ24時以降の深夜番組はなかったんです。景気が上向いてきたということで、その日の最後の番組だよッという意味で「ザ・ラストショー」(80年)という30分の若者向けの情報番組をやりました。これが僕のディレクター・デビューで、このときに秋元康と組むことになったんです。

――AKB48グループや乃木坂46・欅坂46のプロデューサーの秋元康(59)は、この頃番組の構成作家だった。港と共に作った「夕やけニャンニャン」での“おニャン子クラブ”はAKBの原型といえる。また、80年と言えば、とんねるずがコンビを結成した年でもある。同年、「お笑いスター誕生」(日本テレビ系)にプロとして10週勝ち抜きに挑んでおり、翌81年からは朝の情報番組「モーニングサラダ」(同)にレギュラー出演していた。

次ページ:「オールナイトフジ」のカメラ破壊事件

前へ 1 2 3 4 5 次へ

[3/6ページ]

メールアドレス

利用規約を必ず確認の上、登録ボタンを押してください。