フジ「みなおか」終了で名物プロデューサー、港浩一氏が語る「とんねるず」秘話

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「ダーイシ」と「小港」の誕生

「みなさん」はパロディーを得意とする番組でしたから、身近にいる人をデフォルメすることも多かった。そうした中で、貴明が石田さんをデフォルメしてやり出すと、それがウケた。ただね、物語を作る上で、ダーイシが暴走するのを止める役割が必要になる。それでできたのが“小港”です。それとね、石田さんが街を歩いているだけで笑われるようになっちゃって、石田さんが怒るんですよ。

「お前はズルい! 俺ばっかり笑いものにされて」

 それで“小港”が誕生したというのもある。憲武はよく“小港”が手帳をめくる仕草をやるんだけど、僕には全然似ていないと思ってる。でも、みんなは似ているというから、やっぱり観察眼があるんですよね。

――港氏は76年にフジテレビに入社。当時、フジでは番組を作る制作部門は制作プロダクション化され、本社から切り離されていた。そのため最初に配属されたのは人事部だった。80年に大改革が行われ、日枝久(現相談役)が編成局長に抜擢される。漫才ブームを起こした横澤彪氏、港氏の師匠となる石田氏らもいた。港氏も念願叶って制作部に所属することになる。

 このときにキャッチフレーズが“楽しくなければテレビじゃない”へと変わるんです。プロダクションにいた人たちも社員化されて、そのエネルギーが爆発した。人間のエネルギーって凄い!と思いましたね。

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